「はやぶさ奉行」

 

「はやぶさ奉行」

 19571117 東映京都作品)

  原作・陣出達朗(週刊アサヒ芸能)

  脚本・高岩 肇 

  監督・深田金之助

 

  <配 役>

   遠山金四郎 …片岡千恵蔵

   侠盗ねずみ …大川 橋蔵

   お   景 …千原しのぶ

   千   吉 …植木 千恵

   お   半 …花柳 小菊

                長岡有楽斎 …進藤英太郎

ものがたり

「悪に濁ったうぬらの眼には、眩しくってとうていまともにゃ見られめえ。口はばったいセリフだが、東照権現さまの陽明門に比べても、一歩もひかねえ~遠山桜だ」

待ってました! 遠山の金さん!

ご存じ遠山の金さん、10番手柄。

 

次々と起こる殺人事件。その背後には、日光東照宮での将軍家慶暗殺の陰謀が。

江戸から日光へ。敢然と悪の現場へ乗り込む遠山の金さんと侠盗ねずみ。

お白州での裁きはいかに。

 

シリーズ初のカラー作品

遠山の金さんといえば片岡千恵蔵さんの十八番。

この『はやぶさ奉行』は遠山の金さんシリーズ10作目を記念して、初の東映スコープ、カラー作品で制作されました。

カラーの効果を考慮して、物語の背景に選ばれたのが、日光東照宮。陽明門のセットは500坪もある一番大きい第11ステージに20日間近くを費やして造られました。

また、歯車の装置なども大掛かりで、10作目にふさわしく豪華な作品となっています。

 

いれずみに3時間

金さんといえば桜吹雪の刺青がお馴染み。今までの白黒映画なら眉墨を使って、濃淡で描けばよかったのが、カラーとなったらそうはいきません。特に朱色がうまく出ず、結局、油絵の具にドーランをまぜて描いたそうです。

下絵、着色のあと、とのこを塗り、ガーゼで丹念に肌にたたきこみ、パフをたたいて、仕上がりまで約3時間。その間、身動きできないのですから、俳優さんも楽ではありませんね。刺青は東映所属俳優の尾上華丈さんが描かれたそうですが、華丈さんの撮影予定がある日は、その前に仕上げなければならず、朝5時から刺青描きということも。

実際には、本物の遠山金四郎の刺青を見た人はいないそうで、桜の花びら1枚、とか、女の生首とか、諸説あるようです。他人に見られないよう、常に手首までシャツのようなものを着ていて、それが後に旅人が手につける手甲のもとになったといわれています。

 

遠山金四郎はどんな人物?

実在する遠山金四郎とはどのような人物だったのでしょう。

遠山金四郎景元(17931855)は幼名を通之進といい、父親の遠山景晋は長崎奉行をつとめています。父景晋が遠山家の養子となったのちに、養父に実子景善が生まれ、景善を今度は景晋の養子に迎えるという複雑な家庭環境だったため、金四郎は青年期に放蕩生活を送ったと伝えられています。刺青を彫ったのもそのときで、義理の弟に家督を譲るためだったと言われています。

のちに景善が亡くなると家に帰り、江戸北町奉行や南町奉行などをつとめました。

天保の改革で芝居小屋の廃止が唱えられたとき、金四郎はこれに反対、浅草猿若町に小屋を移転するだけにとどめたため、庶民や関係者に感謝され、金さんの活躍を物語にした「遠山もの」が上演されるようになったようです。享年63。(Wikipedia

 

鼠とはやぶさ

我らが橋蔵さんは『はやぶさ奉行』では侠盗ねずみとして登場します。千恵蔵さんとは『海の百万石』以来、2回目の共演で、橋蔵さんのことを「カンのいい人だとは思っていたが、うまくなった」と千恵蔵さんは語っています。

たまたま逃げる途中、忍び込んだ家で金さんに会い、その後兄貴分として慕い、金さんを助けます。

終戦後、疎開先の辻堂から東京に通っていた橋蔵さん。当時の列車は満員で窓から乗り降りしなければ乗れない状況。橋蔵さんも窓から飛び乗って通勤していたそうですが、「このような経験も、泥棒の役をやるとき役立つかもしれません」と笑っていたとか。すでに実証済みの身軽さを披露しています。

映画のタイトルはすばしこい鼠に負けないよう、敏捷なはやぶさをとって『はやぶさ奉行』と付けられました。

 

                     (文責・古狸奈 2010426