「若さま侍捕物帖 紅鶴屋敷」

 

「若さま侍捕物帖 紅鶴屋敷」19581215 東映京都作品)

  原作・城昌幸 

  脚本・比佐芳武、鷹沢和善 

  監督・沢島忠

 

 <配 役>

  若さま   …大川 橋蔵

  遠州屋小吉 …沢村宗之助

  お千代   …桜町 弘子

  おいと   …花園ひろみ

          覚全和尚  …月形龍之介

ものがたり

粋な着流しに懐手、海辺の鄙びた漁村にやってきた若さま。その昔、三国一の花婿を得たいと折った千羽の紅鶴が不気味に揺れる紅鶴屋敷。その屋敷に伝わるという五千両の小判をめぐって起きる連続殺人事件。粋でいなせな若さまの名推理! 死を招く紅鶴の謎。風の如き黒い影に挑むは秘剣一文字崩し!

 

本格的スリラー時代劇

この『紅鶴屋敷』はご存知大川橋蔵さんの人気シリーズ『若さま侍捕物帖』の7番手柄。14ヵ月ぶりの登場です。

これまでの『若さま侍』は犯人探しの推理的要素よりも、若さまの颯爽とした活躍ぶりが主で、謎解きの面白さは二の次となっていました。

しかし、この作品では「若さま」シリーズで初めてメガホンをとる新鋭沢島忠監督が、現代劇スリラーと時代劇スリラーの調和を課題に、新しい時代劇の本格的なスリラー映画を目指した野心作です。

言ってみれば、事件が主役で若さまが脇役の新しい形の本格的推理時代劇『若さま侍捕物帖』の誕生でした。

不気味に揺れる紅鶴の妖気をはらむ紅鶴屋敷、出没する黒い影、死体に置かれた紅鶴の謎、最後まで犯人がわからない緊張感・・・そしてどんでん返し。

本格的スリラー時代劇の謎解きの面白さを満喫させてくれる作品です。

今回は星美智子さんに代わって花園ひろみさんがおいと役で登場、桜町弘子さんのお千代の語りで物語が進められていきます。

 

才人・沢島監督

監督の沢島忠氏は1926519日、滋賀県愛知郡生まれ。78年に監督としての名前を「正継」と改名しています。

同志社外事専門学校を卒業後、劇団の演出助手を経て、50年、東映の前身・東横映画撮影所に入社。マキノ雅弘、渡辺邦男、萩原遼らの助監督を務め、57年、『忍術御前試合』を10日間で撮り上げ、監督昇進テストに合格。正規の監督となってからは、時代劇の世界に若々しい風を起こした才人として評価され、多作でも質を落とさない律儀さと技量でめざましい活躍を続けました。

特に錦之助さんやひばりさんの主演作品を多く手がけ、「一心太助」シリーズが評判を呼びました。チャンバラ映画の歴史に一時代を画し、「東の今村(昌平)、西の沢島」と称されました。

橋蔵さんの作品では、『若君千両傘』、『若さま侍捕物帖 紅鶴屋敷』(58)、『海賊八幡船』(60)、『富士に立つ若武者』、『若さま侍捕物帖 黒い椿』(61)、『美男の顔役』(62)を監督しています。

映画が斜陽になってからは商業演劇の脚本・演出の分野で活躍しています。

2014年に刊行された川本三郎・筒井清忠両氏の対談形式の著『日本映画隠れた名作 昭和30年代前後』(中央公論新社)の「沢島忠」の項で、「沢島氏は時代劇の骨法を知り尽くした上で、新しい感覚でひばり、錦之助を生かし切った」、「テンポがよく、飽きることがない」、「お客さんあっての映画であることをわきまえ、製作していた」と沢島氏の力量を高く評価し、「当時は評論家の間でも、娯楽作品をきちんと見ようとする思いが欠けていた」と軽んじられた当時の風潮に思いを馳せています。

脚本の鷹沢和善は沢島夫妻のペンネームで、多くの作品を脚本から製作しています。

 

撮影のほとんどがロケ

今回の事件の舞台は江戸を離れて、とある鄙びた漁村。

撮影は琵琶湖北岸近江舞子で行なわれました。近江八景のひとつで雄松の松林に囲まれた紅鶴屋敷は、近江舞子ホテル本館が使われました。庭が荒れると断られたのを、お百度踏んで頼み込んだと伝えられています。現在、ホテルは営業していませんが、松林は健在。若さまが釣りをし、海中に突き落とされる桟橋も映画の場面そのままに残っています。

この撮影、ほとんどがロケで行われたというのも異色。沢島監督作品には琵琶湖周辺での撮影が多いのですが、滋賀県出身だった監督の頭の中には琵琶湖近辺の景色がはっきりと描き出されていたということなのでしょう。

 

粋な着流し姿と殺陣の美しさ

 若さまの着流し姿。粋で艶やかで、何ともいえぬ色気と気品。その着こなしも見どころのひとつです。

 次に立ち回り。43作目となった『紅鶴屋敷』では、立ち回りも上達し、若さまの華麗な太刀さばきが随所に見られます。

 

では、美しいと定評のある橋蔵さんの立ち回り。いったいどこに秘密が隠されているのでしょう。

まず、太刀さばき。スピーディな刀の動きも見事ですが、よく見ると、ほとんどの場合、刀を持つ手元に左手が添えられているのに気づきます。たとえ左手が離れることがあっても、刀を振り下ろす瞬間は必ずと言ってよいほど両手で決めています。剣の先から両腕を通して肩まで、一直線のラインが強調され、より美しく見えるように思います。

多くの場合、片手だけでの立ち回りは、左腕と袖がブラブラして、何とも見苦しく、颯爽とした感じにはなりません。

次に足さばき。ツツツーと横に走るときの足さばきや裾さばきの見事さ。腰も決まっていて安定感があります。

このような橋蔵さんの華麗な立ち回りは、舞踊の素養があってこそのものでしょう。

 

立ち回りは舞踊

ところで、私は時代劇映画の立ち回りは舞踊だと考えています。歌舞伎の様式美に通じる型の世界です。

舞台では、斬られたら邪魔にならないよう、舞台の袖に消えるのが約束事。死体がなくても、返り血を浴びなくても、観客はすべての約束事を理解した上で、舞台を見ているので問題はないのです。

最近はリアルな表現を好む傾向があり、立ち回りなどもリアルさを追うあまり、醜悪な映像表現が多くなっているように思います。血が噴き出したり、内臓が飛び出すような、これでもかと言わんばかりの、どぎつい刺激的な映像まで、映し出す必要はないように思います。画面に気品がなくなります。

 

歌舞伎に型があるように、時代劇映画の立ち回りにも、型や約束事があってもいいのではないでしょうか。立ち回りは結局は人殺しの場面だからです。決闘の場面にいくまでの登場人物の悲しみや怒り、正義感、義理人情といった立場や心情が充分に描かれていれば、立ち回りは型や、象徴的に描くという映像表現でよいように思います。殺戮場面のリアルさや醜悪さを表現することが、映画芸術と考えているとしたら、大きな間違いのように私には思えるのです。

57年ごろの雑誌に「橋蔵さんの立ち回りは型にはまっているので、リアルにやった方がいい」といった記事がありました。それも一理ありますが、リアルっぽい立ち回りは誰にでも出来るけれど、華麗な立ち回りは修練が必要で、誰にでもというわけにはいかないような気がします。

 

『紅鶴屋敷』では秘剣一文字崩しのほか、二刀流も登場します。

若さまの華麗な立ち回りをお楽しみください。

 

 

(文責・古狸奈 2010413 初出 201591 補足改訂)