「血煙り笠」

 

「血煙り笠」

     (19621012 東映京都作品)

   脚本・比佐芳武 

   監督・松田定次 

 

  <配 役>

   つばくろの藤太郎 ・・・大川 橋蔵

   とびっちょの松五郎・・・里見浩太朗

   お蝶(小きん)  ・・・朝丘 雪路

   荒井の虎五郎   ・・・三島 雅夫

   田尻の平八    ・・・山形  勲

                仏の甚十郎    ・・・大友柳太朗

ものがたり

 妹を殺した甲府勤番の次男坊を叩っ斬って、旅に出たつばくろの藤太郎が草鞋を脱いだ先に、とびっちょの松五郎が訪ねてきた。ところがこの松五郎は藤太郎を狙う勤番側にやとわれた殺し屋、甚十郎と通じていた。

 甚十郎は早く藤太郎を斬ると月々の手当てが入らないからと、奇妙な三人旅が始まった。

 三島の宿で吉野屋の小きんに入れあげた甚十郎。その小きんが恩を受けた日光の貸元の娘、お蝶と知り、驚く藤太郎・・・

 

楽しい明朗時代劇

 この映画が製作された時代の傾向で、タイトルは血みどろのおどろおどろしい感じがしますが、内容はそれほどの残虐性もなく、笑わせられる部分も多い明朗時代劇です。

 ただ、映画が主人公藤太郎の妹が無残に殺されるきわどい場面から始まるのは当時の傾向といえ、好みが分かれるところでしょう。

 日光今市の貸元の所に草鞋を脱いでいた藤太郎のもとに、国で妹が死んだ、という知らせ。急いで帰ってみると、妹は甲府勤番の次男坊に殺されていたのです。怒った藤太郎は妹の仇、勤番の息子を斬り捨て、追っ手を逃れて各地を旅するのですが・・・そこにまたもや現われたとびっちょの松五郎が今度は殺し屋の浪人と通じていて・・・奇妙な三人旅が始まります。

 

三人三様の魅力

 この作品の見どころはスター3人の個性がバランスよく発揮されていることでしょう。

相も変わらず颯爽とした橋蔵さんの藤太郎に、とぼけた味の大友柳太朗さんの浪人甚十郎、おっちょこちょいの二枚目半の里見浩太朗さんの松五郎と、三人三様の魅力がぶつかり合い、実に楽しい作品に仕上がっています。

 朝丘雪路さんは日光の貸元の娘、お蝶の役で橋蔵さんと初共演。「貸元の娘にこんな品のいい娘がいるはずはない」という評が出たほどの清楚で愛らしい娘ぶりを見せています。

 

東映歌舞伎で座長格

 ちょうどこの頃、東映歌舞伎が明治座で旗揚げされ、歌舞伎出身の橋蔵さんは主力メンバーとして出演しています。628月、明治座での第1回公演夜の部で上演された『花の折鶴笠』は半年後に映画化、映画より舞台が先に発表された珍しい例といえるでしょう。

東映歌舞伎第1回公演は昼の部が『勢揃い清水港』、『旗本退屈男 龍神の剣』、『濡れつばめ』、夜の部が『丹下左膳』、『いれずみ判官』、『花の折鶴笠』となっていて、橋蔵さんは昼の部の『濡れつばめ』と夜の部の『花の折鶴笠』に出演、水谷良重さんの土筆のお芳を相手に軽快な笑いを振りまきました。

このように、第1回公演は東映オールスターの顔見世興行的な色彩が強かったのですが、翌年の第2回公演以降は橋蔵さんが座長といってもよいほど、舞台の中心に位置するようになりました。『血煙り笠』の共演が縁で、雪路さんに舞台出演を要請されたようで、東映歌舞伎第2回(63年8月)から第5回(65年8月)まで、朝丘雪路さんは橋蔵さんと共演。客席を沸かしました。

 東映歌舞伎の舞台出演は橋蔵さんに舞台への郷愁を呼び覚ましたらしく、その後の歌舞伎座の橋蔵公演へと繋がっていくのです。

 

 この頃、映画の斜陽化と、舞台に取られる時間が多くなったからか、橋蔵さんの映画本数は以前より少なくなっていました。まだ高校生だった私は近所の映画館ならまだしも、家から離れた明治座には通うわけにも行かず、橋蔵さんの作品が映画館に掛からないことを物足りなく、さびしく思ったことでした。このまま橋蔵さんの映画が見られなくなってしまうのではないか、と不安に感じたのもこの時期でした。

 実際、ファンの年代も少しずつ上がり、受験、結婚、育児とファンの方も映画館に通う時間もなくなってきていました。茶の間でテレビを見るのが楽しみという生活パターンに変わってきたことも、劇場型娯楽時代劇の衰退の一因になっていたように思われます。

 

 

         (文責・古狸奈 201546