「ふり袖太鼓」

 

「ふり袖太鼓」

     195791 東映京都作品)

  原作・瀬戸口寅雄 

  脚色・船橋 和郎 

  監督・萩原 遼

 

  <配 役>

   菊池畷之介  …大川 橋蔵

   百 合 姫  …美空ひばり

   自 然 斎  …薄田 研二

   金森左衛門尉輝政 …有馬 宏治

   侘   助  …堺  駿二

                麻   耶  …月丘 千秋

ものがたり

 頃は戦国時代。野武士の仲間に身を投じ、一門再興の機会を狙う九州菊池家の遺児畷之介はある日、男装の美少女、実は戸隠城主金森左衛門尉輝政の愛娘百合姫と出会った。

 百合姫は人質として明智光秀の館にあったが、木曽山中に住む忍者の頭目自然斎に助けられ、その庵にかくまわれているのだった。

折しも戸隠城では輝政の異母弟丹波守勝久らが謀反を起こそうとしていた。・・・

 

姫君と野武士

『平凡』に連載された瀬戸口寅雄原作の映画化。ひばりさん、橋蔵さんのトミイ・マミイコンビ6作目の作品です。今回は男装の美少女、実は戸隠城主金森左衛門尉輝政の愛娘百合姫と九州菊池家の遺児畷之介との恋と冒険の物語。ひばりさんの戦国大名の姫君と橋蔵さんの野武士、黄金コンビもいままでとはちょっと違った扮装で登場です。

山中で出会い、お互いに惹かれる畷之介と百合姫。戸隠城にお家騒動が起き、百合姫の父輝政は幽閉され、百合姫にも敵の手が迫ってきます。あろうことか、畷之介に恋する麻耶の嫉妬で百合姫は敵方に連れ去られてしまいます。このあたりは古典派時代劇のわかりやすい展開。月丘千秋さんにしては珍しい悪役で、畷之介を慕い嫉妬に狂う麻耶を演じています。

百合姫を助け出そうと敵中に飛び込む畷之介達。窮地に陥ったら櫓の上の太鼓を叩くように、との自然斎の教え。敵の囲みを破って櫓に上った百合姫の打つ太鼓の音に馳せ参じる忍びの者の群・・・歌あり、チャンバラありの娯楽時代劇です。堺駿二さんの侘助が笑わせながら、猿飛佐助を連想させるような活躍ぶりで、楽しめます。

畷之介と百合姫が山の上で思いを確かめるシーン。カラーだったら夕焼けにふたりの姿が美しく映えたことでしょう。

 

忍者に『紅葉狩』

ところで蕎麦で有名な戸隠は「戸隠三千坊」といわれ、鎌倉時代、高野山、比叡山に並ぶ修験道者の集まる聖地でした。修験道者のいるところは自然と忍術も発展し、戸隠流忍術を身につけ、戸隠忍者と呼ばれる者が多く住んでいました。上杉と武田の中間に位置していたため、どちらにとっても、彼らを手中におさめることは戦術上重要なことでした。戸隠忍者たちは雇われていた時だけ戦に出向き、普段は戸隠で農耕を営みながら修行に励んでいたそうです。

また、鬼女紅葉伝説もあり、歌舞伎の『紅葉狩』の舞台ともなりました。美しい更科姫が鬼女となり変身する姿は圧巻で、現代でも人気のある演目となっています。

百合姫が人質とされていた館の主、明智光秀。いまでこそ大河ドラマなどでは、明智光秀の立場や人物像は好意的に描かれていますが、57年頃は織田信長を本能寺に奇襲した卑怯者との評価が一般的でした。主君の仇をとった豊臣秀吉に比べて、まったくの悪役。同じ人質でも悲劇性が強まろうというものです。

 

原作探し企画を提案

 橋蔵さんの野武士には荒くれ者とはほど遠い雅な雰囲気が漂います。もともとは由緒ある菊池家の遺児となれば当然のことなのですが、当時の橋蔵さんはどのような役を演じても気品や美しさが出てしまうのです。それが多くの女性ファンを引き付けるのと同時に役柄に幅が出ない悩みでもありました。

 橋蔵さんがデビューしてまもなく後援会ができ、会員数は57年頃で7000人。各地に支部もでき、全盛期にはゆうに2万人を超えていたようです。10代のファンが多く、「憧れのお兄さま」としての憧憬の念が強く、美しい橋蔵さんに喝采を送っていました。一方、年配のファンは橋蔵さんの行く末を我がことのように考え、橋蔵さんにあう原作を探したり、企画の提案をしていた様子が後援会誌『とみい』にうかがわれます。時にはファン同士で激論を交わしていました。

 そうした中で、よく出されていたのが『源氏物語』映画化の要望でした。何度となく企画に上りながら、先延ばしとなり、今年こそ、と期待しているうちに、大映で市川雷蔵さんが『新源氏物語』を映画化。結局、橋蔵さんの『源氏』は立ち消えとなりました。

 先日、東映の元プロデューサーにお話をうかがう機会があり、橋蔵さんの『源氏物語』が実現しなかった理由をお聞きしました。

 『源氏物語』は東映の客の好みにあわない。東映ファンはチャンバラがないと喜ばない。費用の割に客が呼べそうにない、というのが主な理由だったようです。

 

 映画では実現しませんでしたが、舞台で源氏物語絵巻を繰り広げられました。

また、舞台公演のたびに、『鏡獅子』や『道成寺』など本格的な歌舞伎舞踊を上演され、夢の世界へと誘ってくださいました。今でもくっきりと思い出されます。

 

 

(文責・古狸奈 201643