「壮烈新選組 幕末の動乱」

 

「壮烈新選組 幕末の動乱」

      (1960710 東映京都作品)

  原作・白井喬二 

  脚色・比佐芳武 

  監督・佐々木康

 

  <配 役>

   近藤 勇   …片岡千恵蔵

   但馬織之助  …大川 橋蔵

   幾  松   …大川 恵子

   お香代    …花園ひろみ

   会津候    …里見浩太朗

   芹沢 鴨   …山形  勲

   前畑三十郎  …徳大寺 伸

   桂小五郎   …高田 浩吉

   伊東甲子太郎 …月形龍之介

           倉原新兵衛  …大友柳太朗

ものがたり

 時は幕末、反幕府勢力制圧と京の町の平安を守るため、新選組が結成された。

 折りしも、勤皇の志士を名乗る押し込み強盗が横行、賊は但馬との密告が・・・

 一方、芹沢鴨の横暴は目に余るものがあり、近藤勇は芹沢と対決する。

 祇園祭の夜、池田屋に志士の会合があるとの密告で、新選組は池田屋を襲撃、辛うじて逃れた但馬を必死にかばう舞妓千恵菊の姿に、「近藤は鬼でも閻魔でもない。人の真心に泣く男だ」と、見逃すのだった。

 時代が大きく変わろうとする中で、新選組を脱退する動きを見せていた伊東は、薩摩藩への手土産にと近藤を襲う。それを助けたのは誰あろう、但馬と倉原だった。

 「義を貫くことこそ人の道」と、近藤は隊員たちに語るのだった。

 

新選組

 江戸時代後期、主として京都において反幕府勢力弾圧、警察活動に従事した後、旧幕府軍として戊辰戦争を戦った軍事組織。京都守護職、松平容保の支配下にあった治安部隊で、隊員数は60200名。京都の警備としては旗本、御家人で組織された京都見廻り組が存在していて、新選組は会津藩預かりの非正規部隊だった。

 新選組といえば、厳しい局中法度、「誠」の隊旗、忠臣蔵を模した袖口に山形のダンダラ模様の羽織などが有名である。組織の長は従来の複数制をとらず、1人制で、洋式軍制の影響を受けているという。

 戦前は新選組が薩長を中心とする明治政府に敵対する組織だったため、無視された存在だったが、戦後になり、子母沢寛の『新選組始末記』、司馬遼太郎の『燃えよ剣』『新選組血風録』などが発表されてから、脚光を浴びるようになった。映画や小説などでは、近藤勇、土方歳三、沖田総司などが多く取り上げられている。(Wikipedia

 

信義を貫く尊さ

 この作品では片岡千恵蔵さん扮する新選組隊長・近藤勇の活躍と、相対する勤皇の志士・但馬織之助との友情が描かれています。池田屋事件で見逃してもらったことに恩義を感じた但馬が倉原と共に、近藤の窮地を救うのです。

全篇を通じて、近藤、但馬、倉原の3人の行動は、人間としての信義を貫く尊さを見るものに教え、正義は必ず勝つ、といった勧善懲悪もはっきりしていて、時代劇映画は健全な娯楽といった面を明確に打ち出しています。近藤の信念と思慮深さ、但馬の義理を尊ぶ正義感、倉原の危険をかえりみない友情・・・日本人が理想とした人間の姿といえるでしょう。

 

嫉妬に駆られて身の破滅

但馬と同郷の前畑三十郎は、お香代に思いが通じなかった腹いせに、但馬を押し込み強盗の下手人として密告します。それがばれそうになると、今度は池田屋の会合のことまで注進に及び、挙句の果ては新選組に寝返ってしまう始末。

何という、悪い奴!! 橋蔵さんをあんなに危ない目にあわせて。許せない!!

とまあ、子どものときは単純にそう思ったのですが・・・

改めて見てみると、何とも前畑が哀れに思えて。嫉妬に駆られて、一度密告してしまったばっかりに、今度は自分を守るために、多くの仲間を裏切らなければならなくなり、やがては身の破滅に。誰しもが持っている心の弱さが大事に至る哀れさ。常に様子を窺い、ずるがしこくおどおどとした目の動きなど、颯爽として人格的にも非の打ちどころのない橋蔵さんの但馬とは対照的に、妙に心に引っかかる前畑の存在がありました。

 

千恵蔵さんの優しいまなざし

橋蔵さんの但馬織之助は倉原と同様、創造された人物です。それだけに理想像として描かれています。勤皇の志士のいでたちは姿かたちも凛々しく、橋蔵さんの美男ぶりがさらにアップしていますね。

大川恵子さんの幾松、花園ひろみさんのお香代、そして花柳小菊さん、男ばかりのドラマにあって、女優陣が美しく華やかです。植木千恵さんの舞妓千恵菊を見る千恵蔵さんの優しい目元が印象的です。

 

新選組とメキシコ

ここでちょっと閑話休題。

新選組はのちに幕府軍に参加して、戊辰戦争を戦い、土方歳三は箱館戦争で銃弾を受けて戦死するのですが、この五稜郭での戦いで指揮を取った榎本武揚は、のちに明治政府にあって外務大臣などの要職を歴任、1897年、ラテンアメリカ初の組織的な移民団、榎本殖民団をメキシコ、チャパス州に送っています。

これは箱館戦争の折、一緒に戦った幕府の軍事顧問、フランス人、ジュール・ブリュネ(Jules Brunet 18381911)からメキシコの話を聞いたのが、直接の動機とか。ジュール・ブリュネは日本に派遣される前、フランスとメキシコの戦いに参戦して、メキシコ各地を回っており、デッサンまで残しています。ブリュネからメキシコの事情を聞いた榎本が、明治政府となって窮乏している旧幕臣にユートピアをと、メキシコに移民団を送ることを考えたといわれています。

残念ながら榎本殖民は事前の調査が充分でなかったことから、挫折してしまうのですが、そのまま現地に留まった人たちの子孫はすでに4世。世の中、何がどうつながっていくか、わからないものですね。

 

幕末という時代の変動期を扱った、どちらかというと殺戮や陰謀など、陰惨な部分が表面に出やすい内容でありながら、この『幕末の動乱』には、映画全体に風格や気品のようなものが漂っています。これが60年前後の時代劇映画の特徴で、時代が下がるにつれて、凄惨な場面が多くなり、ヒーローを際立たせるというより、登場人物が同格の群像描写が増えていくように思います。片岡千恵蔵さんの貫禄、大友柳太郎さんの風格、橋蔵さんの気品といったスクリーンに映っているだけで絵になるスターが、いなくなってしまったということなのかもしれませんね。

 

 

(文責・古狸奈 201088)