「緋ぼたん肌」

「緋ぼたん肌」

      (195772 東映京都作品)

 

  原作・川口松太郎 

  脚本・八尋不二 

  監督・萩原 遼

 

  <配 役>

   大草源次郎  …大川 橋蔵

   弟 徹之助  …片岡栄二郎

   父 主 膳  …大河内傳次郎

   母 さ え  …松浦 築枝

   お き ん  …霧島八千代

   お   梅  …大川 恵子

   千   種  …桜町 弘子

                 戸田 平吾   …月形哲之介

ものがたり

 御前試合で戸田平吾を破り、勝利の栄誉を得た徹之助には母親の異なる源次郎という兄がいた。源次郎を呼び寄せ、一緒に暮らすようになったが、気儘暮らしになれた源次郎は窮屈でたまらない。

 ある日、息抜きにと弟徹之助を誘い街に出た源次郎は、偶然会った平吾が試合に恨みを持ち、徹之助に狂刀を振るうのをかばうつもりで、逆に平吾を斬りすててしまう。

 大草家に累を及ぼすのをおそれた源次郎はそのまま姿を消してしまうのだが・・・

 

兄弟愛を中心に

 この作品は川口松太郎氏の原作で、異母兄弟の兄源次郎と弟徹之助の兄弟愛を中心に物語が展開していきます。

 侘び住まいをしていた源次郎を呼び寄せ、兄弟仲よく暮らせるようになったのもつかの間、試合の結果に不満を持つ戸田平吾に挑みかかられ、誤って斬ってしまうことから、源次郎は家を出る決心をします。大草家に累が及ぶことを恐れた源次郎は姿を消し、たまたま知り合ったおきんとお梅の姉妹の吉六一家を助けるようになり、武士を捨てる決心をするのです。

一方で、おきんとお梅の姉妹愛も並行して描かれていきます。共に源次郎に寄せる恋心が、姉妹のそれぞれの思いを切ないものとしています。

 

東映の救世主、萩原監督

演出は萩原遼監督。同監督は1910年生まれで、1935年、『丹下左膳餘話 百萬両の壷』で助監督をつとめ、戦後、1946年の長谷川一夫さん主演の『霧の夜ばなし』から61年の三波春夫さん主演の『千両鴉』まで精力的な製作活動を続けられました。特に54年に中村錦之助さんと東千代之介さん主演の『笛吹童子』を手がけ、大ヒット。東映の窮地を救った救世主的な監督といえるでしょう。

橋蔵さんの初期の作品には同監督によるものも多く、『江戸三国志』、『ふり袖太平記』、『修羅時鳥』、『ふり袖太鼓』などがあります。

 

古典的な女性表現

手がけた作品の傾向からも、萩原監督は伝奇ものが得意だったようですが、逆に女性を描くのはあまり得意ではなかったのかもしれません。この『緋ぼたん肌』のおきんやお梅にしても、源次郎への恋に悩む姿はうつむき加減で、魂の抜け殻のような歩き方、といった画一的、古典的な描き方で終始していて、生きた人間の表現としては弱いように思います。

とかく娯楽時代劇では女性の描き方はおざなりで、添え物的な傾向が強いのですが、製作された当時の世相を反映していることは間違いありません。『新吾二十番勝負』では、由紀姫が父親に向かって「私は新吾様に惚れているのです」という、当時としては過激な台詞が飛び出しており、たった4年の差で、女性の意識が著しく変化したという証なのかもしれません。

自分の思いをじっと胸に秘めて、耐え忍ぶのが美しい聡明な女性とされていた時代のおきんもお梅も理想の女性像だったといえるでしょう。

子持ちの姉、おきんを霧島八千代さん、妹のお梅をデビューしたばかりの大川恵子さんが演じています。のちの黄金コンビ「大川コンビ」の誕生です。

また、桜町弘子さんが松原千浪から芸名を変え、弟の恋人千種役で登場。『喧嘩道中』で半次郎の妹お雪役の丘さとみさんと、のちの東映城の3姫が57年のこの時期に揃いました。

 

脇を固める主演級スター

弟の徹之助には片岡栄二郎さん。片岡さんの誠実で優しい人柄がしのばれるようで、こんな弟ならば源次郎ならずとも、どんなに危険を冒してでも救いに行きたくなるでしょう。

父親役の大河内傳次郎さんと母親役の松浦築枝さん。風格ある武家の両親を演じています。東映時代劇の面白さは大河内傳次郎さんのような主演級のスターが脇を固めていることで、安心して観ていられます。母親の松浦築枝さんが出てくると、画面全体が和んでくるように感じるのは私だけではないでしょう。

 

刺青は眉墨の濃淡で

橋蔵さんは源次郎を演じています。相変わらず格好よくてモテモテの役どころ。身分はよくて、腕は強くて、おまけに男前。どんなに崩れていても育ちのよさを感じさせる役柄は橋蔵さんならではのもの。小気味いい啖呵と立ち回りに胸がスカッとします。

ただ、この源次郎さん、女心にはきわめて鈍感で、姉のおきんが自分に思いを寄せていることには全然気がつきません。子持ちということで、恋をする資格がないように扱われるのも当時の恋愛観によるものでしょうか。

弟と大草家のため、武士に戻らない決心をあらわす背中のぼたんの刺青。肌に刺青を彫ることは我慢強さをあらわす一方、親から与えられた体を汚すものとして、武士階級などからは忌み嫌われていました。刺青は前の身分からの決別を意味し、『大江戸喧嘩纏』など他の作品でも、同様の意味合いでよく使われます。

白黒映画なので、刺青といってもぼたんの花は眉墨で濃淡をつけただけのもの。刺青は白黒でした。その後カラー映画時代になると、刺青も色鮮やかに描かなければならなくなり、さまざまな工夫が凝らされました。遠山金四郎など、映画に出てくる緻密で艶やかな背中の刺青は、ほとんど全て東映所属俳優の尾上華丈さんが描かれていたようです。華丈さんの撮影があると、その前に刺青を仕上げなければならず、早朝から作業にとりかかったと伝えられています。

 

市井に下った兄が弟の危難を救う主テーマに、姉妹の源次郎への恋がからむ、娯楽時代劇としては定番のあらすじですが、まだ痩せていて着流し姿もすっきりと、アイドル時代の橋蔵さんの若い魅力が溢れた作品となっています。

 

(文責・古理奈 2012829