「この首一万石」

 

「この首一万石」

   (1963421 東映京都作品)

  原作/脚色/監督・伊藤大輔

 

  <配 役>

   槍の権三   …大川 橋蔵

   助 十    …大坂 志郎

   半 七    …堺  駿二

   山添志津馬  …水原  弘

   御所内    …平 幹二朗

                ちづ・ちづる …江利チエミ

ものがたり

 人入れ稼業井筒屋の抱え人足で、槍奴ぶりが評判の伊達男、権三と、浪人、凡河内典膳の娘ちづはかねてからの恋仲だが、娘の夫は武士でなければという典膳の一徹さのため、2人は結婚できないでいた。武士になりたいと願う権三。

 ある日、小大名小此木藩から帰国のための人足を雇いたいとの注文が舞い込み、権三は助十たちと旅に出ることになった。

 途中、足の生爪をはいでしまった権三は行列から落伍してしまい・・・

 

ファンには辛い作品

『この首一万石』は橋蔵さん扮する権三が最後に無惨な殺され方をするので、ファンにとっては見るのが辛い作品なのですが、映画としてはずばり名画です。後世まで語り継がれてほしい作品のひとつです。最後の大立ち回りになるまでは、ほのぼのとした場面や興味深い個所も多く、観る者を飽きさせません。その上、現代にも通じる武士社会への風刺も効いていて、橋蔵さんの違った魅力がふんだんに盛り込まれている作品です。

原作、脚色、監督と1人3役をこなした伊藤大輔監督。その昔、大河内傳次郎さんを抜擢した監督としても有名です。

そうした関係もあり、製作に当たって、伊藤監督は1927(昭和2)、日活京都撮影所で製作された『槍供養』(辻吉郎監督)を意識していたことは間違いないでしょう。同作品では大河内傳次郎さん扮する市助が自分の不始末を恥じ、武士として切腹するのですが、『この首一万石』では風刺をきかせ、さらに突っ込んだ作品となっています。

 

槍奴の伊達姿

 映画が始まると花嫁行列の槍奴に雇われた権三の伊達姿が映し出されます。踊りながら行列の歩を進める橋蔵さんの槍奴は、身のこなしといい、女形では見られない違った魅力の伊達男ぶりです。見物する娘たちからかんざしが投げられる人気者。紅白の毛槍も鮮やかで、明るく華やかな幕開けとなっています。

 

人入れ稼業井筒屋

 権三の所属する人入れ稼業井筒屋は現在で言えば、職業安定所と派遣会社をあわせたようなところでしょうか。権三や助十はさしずめ住み込み派遣社員といったところ。井筒屋内の情景が面白いですね。

 翌日の仕事の割り振りに全員で籤を引き、名前の書かれた木札がかけられていきます。興味のない仕事のときは万年床にもぐりこむ半七。派遣先の長屋に権三の好きな娘がいるからと、代わりに籤を引く仲間・・・ほのぼのとした人情が漂ってきます。

 綱の端を持って、仕事の格好はしているものの、2人の関心事は、結婚相手は武士でなければならん、というちづの父親の一徹さ。身分制度のはっきりしていた当時は町人が侍になれる道理はなく、身分が違えばそれだけで結婚できませんでした。武士になりたいと願う権三。

 

名脇役の手ぬぐい

 折りしも小此木藩から人足の注文が舞い込みます。経費節減のため、帰国に藩士を送ると費用がかかるので人足を雇いたいという話。その実、浮いた分は自分の懐へと企む藩のご重役。人足は必要な人数の半分、請求額は倍、利益は重役と井筒屋で折半。茶店での茶代は上乗せの領収書、今の世にもありそうな話です。

 籤に当たった権三の出立の日、ちづと別れを惜しみます。別れがたい2人。ちづから渡された半纏型の折り手ぬぐい。時にはちづをしのび、時には喧嘩の種となって、物語の展開を促します。

ちづからの大切な手ぬぐいを汚されたことで喧嘩となり、仲間に馴染むことができなくなった権三。腹いせに道端の石を蹴飛ばして、足の指を怪我してしまうのです。思うように歩けなくなった権三は行列から遅れてしまい、思いがけない悲劇が待ち受けることになるのです。

 

下郎の命は虫けら同然

三島の宿の本陣では厄介な問題が持ち上がっていました。大藩の渡会藩と鉢合わせ。宿を替わってほしいという渡会藩の申し出に、日頃、大藩に差別されている悔しさもあって譲れない小此木藩の意地。東照神君由来の名槍阿茶羅丸を持っての道中だから、格式は下げられないと突っぱねてしまうのです。

一方、本陣にしか泊まれない大藩の格式と体面。大藩と小藩の意地の突っ張りあい。結局、小此木藩は賄賂を受け取り、脇本陣へ移ることになるのですが、遅れて着き何も知らない権三は槍を本陣の玄関脇に立て掛け、ちづにそっくりな遊女ちづるのもとへ遊びに出かけてしまいます。

問題の槍が置き忘れられていたことで小此木藩の嘘がばれてしまい、すんなりと宿を替わらなかった腹いせに嫌がらせを考える渡会藩の重臣。東照神君の槍を返してほしければ責任者の切腹を、と迫られ、慌てる小此木藩の藩士。皆自分の命は惜しいので、身代わりを立てようと、あろうことか、武士になりたいと言っていた権三に白羽の矢が。武士に比べ下郎の命は虫けら同然、武士に仕立てて切腹させれば、万事うまくいく、というわけです。何という身勝手なご都合主義。

そうとは知らない権三は武士にしてくれるというので、大喜び。床山に髪を結い上げてもらい、鏡に映る嬉しそうな笑顔。日焼けと酒で赤くなった顔ときりっとした武士の髷のアンバランス。次に起こる悲劇を暗示しているようです。

 

壮絶な乱闘場面

喜んだのも束の間、「死ね!」と言われ、白刃に取り囲まれる権三。権三や人足たちに好意的だった水原弘さんの山添志津馬さえ、「背に腹はかえられぬのでな。許せ」と言う始末。

全てを知った権三と藩士の死闘が繰りひろげられます。怒りに震え、死にもの狂いで暴れまわる権三。傷つきながらも立ち上がり、壮絶な乱闘場面が展開していきます。思わず目を瞑ったり、顔を背けたくなるような場面の連続。敵対する藩士たちのほとんどが殺られてしまう凄まじさ。

最後は「これだけ騒ぎが大きくなっては致し方ない。必ず討ち果たせ。安心いたせ。乱心者として取り扱おう」という代官が引き連れた鉄砲隊の銃弾を浴びせられて・・・心配して駆けつけた遊女のちづるも弾に当たって死んでしまうのです。

翌日、富士山を背景に何事もなかったように大名行列が・・・

 

語り継がれる傑作

最後まで見たとき、身体がコチコチになっていました。ドーッと重いものがのしかかってくるような圧迫感。しかしそれはただ綺麗なスターだけではない橋蔵さんのすごさを改めて感じることでもありました。今まで颯爽とした華麗な立ち回りを見慣れた眼に、全く違った橋蔵さんが映っていたのです。

撮影に臨むたびに、努力と研鑽を怠らなかった橋蔵さんが94作目にみせた新しい領域。転がり、追い詰められ、満身創痍になって抵抗する橋蔵さんの迫力と存在感。大立ち回りに至るまでのさりげなくみせる演技力と物語の面白さ。

ファンにとっては橋蔵さんの権三があまりに痛々しくて、見るのが辛い作品なのですが、後世まで語り継がれる傑作であることは間違いありません。

 

(文責・古狸奈 2010113)