「草間の半次郎 霧の中の渡り鳥」

 

「草間の半次郎 霧の中の渡り鳥」

     1960529 東映京都作品)

   脚本・比佐芳武 

   監督・内出好吉

 

  <配 役>

   草間の半次郎 …大川 橋蔵

   笹川 繁蔵  …坂東好太郎

   おとく    …山田五十鈴

   おけい    …大川 恵子

   おこよ    …喜多川千鶴

   横瀬の弥市  …伏見扇太郎

   矢切の長太郎 …田中 春男

   境田の安五郎 …進藤英太郎

                中富十兵衛  …月形龍之介

ものがたり

 笹川一家の助っ人となり、同じ助っ人の横瀬の弥市を救うため、飯岡方と結ぶ役人を斬って、鹿島灘の浜津賀に逃れた草間の半次郎。そこは波の音、砂の感触・・・半次郎の遠い記憶を呼び起こす土地だった。

 村の娘を救った半次郎を、浜津賀の網元・平田屋の女主人おとくはやくざ嫌いで、村から追い立てようとしたが、おこよに引きとめられ、浜で知りあった中富十兵衛共々留まることになった。

 村には男の姿がなかった。3年前の大時化で男手を失っていたのだ。

 そんな村を境田の安五郎が狙っていた・・・

 

「シェーン」と「瞼の母」をモチーフに

 草間の半次郎シリーズ4作目。今回は内出好吉監督。

 この作品は比佐芳武氏が『瞼の母』と、1953年発表され人気を博した西部劇『シェーン』(監督・ジョージ・スティーヴンス)をモチーフに書き下ろした股旅物です。

 映画『シェーン』はアラン・ラッド扮する流れ者シェーンがライカー一味をやっつけて去る後姿に、ジョーイ少年が「シェーン!」と呼び続ける哀愁を帯びたラストシーンが評判となりました。

 私自身はこの映画を見た記憶はないのですが、なぜか私の頭の中にしっかりと映像が残っているのです。後年、テレビの名場面集で見たか、新聞や雑誌で読んだものが、自分の脳裏に刻まれて構成されてしまったのかもしれません。

 安五郎一家を倒し、去っていく半次郎にわが子と知り、「新太郎!」と叫び続けるおとく。半次郎の背後を追うように聞こえてくる「新太郎さ~ん!」というおけいの声。『シェーン』をモチーフに、哀愁を帯び余韻を残して物語は終わります。

 

ハワイからロケ地に直行

 雄大な鹿島灘の浜津賀が舞台となっているこの作品は、浜名湖の弁天島、汐見浜で撮影が行なわれました。最初は撮影場所を琵琶湖でと考えていたようですが、波の形とスケールが違うということで浜松になったのだとか。

 ちょうど『霧の中の渡り鳥』の撮影前、橋蔵さんはハワイでの後援会の集いのため、415日から22日まで、初めての海外旅行に出かけていて、ハワイからロケ地に直行という慌ただしさ。ハワイでは若衆姿で『あやめ浴衣』を舞い、地元の新聞からも「サムライハシゾーの踊りは非常に優美である」と絶賛されたようです。

 冒頭の利根川を下る笹川繁蔵一家の舟の撮影は枚方ロケ。今の枚方にあんな広々とした景観は残っているのでしょうか。日本国中、どこも拓けてしまって時代劇を撮影できる場所はなくなってしまい、それだけでも時代劇の受難の時代なのかもしれません。

 

初顔合わせの橋蔵さんと山田さん

 海神祭の日、おこよから面を被っていればわからないから、と渡されたおかめとひょっとこ。結局、おかめの面を持って急場を助けに行くのですが、おかめの面を手にした半次郎のスチール写真。いいですね。惚れ惚れします。

 盆踊りの輪の中で、手ぬぐいを手に踊る田中春男さん。さりげない踊り方なのに何ともいえない風情と味があって、素人とはどこが違うのだろうと見入ってしまうほど。

 半次郎の実の母親で、平田屋の女主人・おとくの山田五十鈴さん。橋蔵さんとは初顔合わせ。やくざから村を守ろうと気丈な網元の女主人を演じています。凛とした風格があり、山田さんが登場するだけで画面が引き締まりますからさすがです。

 喜多川千鶴さんのおこよ。大川恵子さんのおけい。それぞれの持ち味を出しています。この作品は女性が多くて、監督も照れ気味だったとか。

 月形龍之介さんは気ままな浪人・中富十兵衛。本当は水戸藩家老を叔父に持つ身分なのですが、窮屈な暮らしを嫌っての放浪生活。浜で会った半次郎に興味を持ち、助けます。月形さんにしては珍しいキャラクターの役どころです。

 

地獄を見た

 最初はおとくに嫌われていたのが、最後には見込まれて村に残ってほしいと言われ悩む半次郎。これ以上の幸せはないのに、役人を斬った凶状持ちであれば、受けるわけにはいかず、地獄を見た、と嘆き苦しみます。冒頭の弥市の母親を助けるため、役人を斬ったことが伏線として関わってきます。

 結局は母親と許婚に災いをおよぼす安五郎一家を倒して、半次郎は夜霧の中を去っていきます。

 目印の二の腕のほくろを見せ、「平田屋の新太郎じゃねえ。上州草間生まれの半次郎・・・二度とお目にやぁ、かかりません」とおけいに言葉を残して。

 悪人一味を倒して、ほとぼりがさめるまで草鞋をはく、というのは股旅物によく出てくる話ですが、ほとぼりがさめるのは大体どのくらいの年月が必要だったのでしょうか。

 半次郎さん、本当に二度と浜津賀には帰らなかったのでしょうか。続編が気になるところですね。

 

(文責・古狸奈 2010104