「月形半平太」
「月形半平太」
(1961・4・25 東映京都作品)
原作・行友李風
脚色・伊藤大輔
監督・マキノ雅弘
<配 役>
月形半平太 …大川 橋蔵
梅 松 …丘 さとみ
染 八 …青山 京子
歌 菊 …西崎みち子
桂 小五郎 …高田 浩吉
早瀬 辰馬 …里見浩太郎
ものがたり
動乱の幕末、薩長連合を画策する桂小五郎と月形半平太。
しかし、京都に潜入した志士たちが見廻り組の隊士たちに次々と倒され、復讐を企てようとはやる長州藩士たち。そうした中で、ひとり月形半平太のみが無益な殺生を戒めるのだった。
見廻り組の浪士への襲撃は激しさを極め、町人までも巻き込んでいく。浪士にかかわって、斬られた千切屋の家族の姿は京の町の人々を恐怖に陥れるのだった。見廻り組隊士、早瀬辰馬は隊の行動に疑問を持ち組を脱退、半平太のもとを訪ねるのだが、半平太の言動は長州藩士にはことごとく裏切り者と映ってしまう。
一方、見廻り組の奥平を斬った半平太を仇とねらう染八・・・
スターが競った半平太
『月形半平太』は行友李風の原作で、主人公の月形半平太は評論家の尾崎秀樹氏によれば、長州藩の月形市蔵と土佐藩の武市半平太を合わせた虚構の主人公。他に黒田藩月形洗蔵と武市半平太の説もあり、最後に志半ばにして倒れ、「死して護国の鬼とならん」と書き残す、悲劇的で理想的なヒーローとして編み出されています。
『月形半平太』は1919年(大正8)4月、新国劇を立ち上げた沢田正二郎が京都明治座で月形に扮したのが初演で、1921年(大正10)、国活で実川延一郎主演で初映画化。昭和に入ってからは、戦前の1925―39年に9本、戦後は3本が同名タイトルで映画化されています。
戦前は、沢田正二郎、林長二郎(長谷川一夫)、坂東妻三郎、大河内傳次郎、嵐寛寿郎、月形龍之介、坂東好太郎と主演級のスターが競って月形半平太を演じています。戦後は52年に市川右太衛門、56年には長谷川一夫ほか大映オールスターで映画化され、タイトルこそ違いますが、58年、佐々木監督の『新選組』で大友柳太朗さんの月形が登場。同名タイトルでは、61年の橋蔵さんの月形半平太が最後の作品となっているのです。(「キネマ旬報映画データベース」)
多くのスターたちが演じた題材だけに、製作スタッフの闘志も並々ならぬものがあったことでしょう。脚本は33年、大河内傳次郎主演で監督をし、社会の矛盾や身分制度などを鋭く突く伊藤大輔氏。監督はリメイクものを数多く手がけ、俳優の個性を引き出すのを得意としたマキノ雅弘氏で、美しくも哀しい橋蔵さんならではの出色の半平太の登場となりました。
語り継がれる名台詞
行友李風(ゆきとも りふう 1877―1959)は広島県尾道市出身。本名は直次郎。大阪新報記者を経て、大正6年、沢田正二郎が結成した新国劇の座付き作者となり、『月形半平太』や『国定忠治』などを発表。『月形半平太』の「月さま、雨が」「春雨じゃ、濡れて行こう」や『国定忠治』の「赤城の山も今宵限り」などの名台詞を生み出しました。
沢田正二郎が亡くなってからは新国劇を離れ、大正末、朝日新聞の連載『修羅八荒』で人気作家となりましたが、欲のない人で、妻と2人、ひっそりと静かな晩年を送られたということです。
気品ある殺陣の冴え
橋蔵さんの半平太は『幕末の動乱』と同じ、勤皇の志士の髪型、出島髷に、月と星の紋をあしらった黒紋付。
はんなりと華やかで優美な祇園を舞台に、同志に受け入れてもらえないもどかしさと孤独感を酒にまぎらせる半平太の危うさ。それに幕末という一触即発のピンと張り詰めた緊張感が覆いかぶさります。
この作品では半平太の孤独感や寂寥感が前面に押し出されていて、春雨に濡れる場面でも、「春雨じゃ、濡れて行こう」ではなく、「たかが春雨」に置き換えられ、半平太のむなしさがひしひしと伝わってくるようです。
半平太を仇と狙う染八に、「討たれてやろうにも今はできぬ。強い花でもいつかは散る。それまで待ってくれぬか」という台詞に、半平太の苦衷が現れています。
見廻り組からも同志からも狙われる半平太。
当然、殺陣の場面も多く、詩吟を詠いながら、襲いかかる敵を斬り伏せていく太刀筋は鋭さの中に華麗さを秘め、最後の大乗院での立ち回りは凄絶な中にも凛とした気品が漂い、橋蔵さんならではの殺陣の冴えを見ることができます。本来立ち回りは殺し合いなのですが、橋蔵さんの半平太の立ち回りには詩に通じる趣きがあり、より美しく感じさせるのでしょう。
大乗院、三条河原、祇園、清水
大乗院の門前の撮影は曼珠院の勅使門で行なわれました。曼珠院は京都市左京区一乗寺にある天台宗の仏教寺院。石段を上り詰めたところに勅使門があって、いかにも『月形半平太』の映画にぴったりの風情です。
では、実際に桂小五郎などの勤皇の志士が拠点としていた場所に、大乗院という名の寺があるのでしょうか。しかも、祇園からあまり遠くないところに。
何となく気になって、大乗院を探しに祇園を基点に歩いてみました。半平太の舞台は梅松や染八のいる祇園、桂と密会する三条河原、隠れ家のある清水界隈。
ありました。三条大橋から川端通りを北に上って、東に入った大菊町にある頂妙寺境内の一角に大乗院の門札がかかっていました。京都にありながら観光とは縁のなさそうな鄙びたお寺でした。
月形半平太自体が架空の主人公ですから、志士たちが大乗院を密会場所にしたかどうかはわかりませんが、作者はおそらく北の大乗院から三条河原、祇園、清水で囲まれた地域を想定して物語を作り上げたのでしょう。創作ノートを手に、半平太になりきった作者の足音や息遣いが聞こえてくるようでした。
祇園の中を流れる白川に架かる巽橋。染八が傘を差し出す橋のたもとは、今でも映画からそのまま抜け出したよう。観光客が入れ代わり写真を撮っていました。川幅の割には水かさが多く、滔々と勢いよく流れていました。
陶芸をされるきっかけ
清水の隠れ家で轆轤をひく半平太。この作品に向けて、橋蔵さんが詩吟と轆轤の稽古に励んだことが、「近代映画」61年7月号の「ぼくの撮影春秋記」に掲載されていて、詩吟は節回しが難しいこと、焼き物屋が来てロクロの扱い方を教わり、とてもおもしろい、と感想を述べられています。この経験がのちに橋蔵さんが陶芸をされるきっかけとなったのでしょう。
丘さとみさんの梅松と青山京子さんの染八の芸者姿の艶やかさ。半襟の赤がひときわはんなりと美しく、恋に一途のひたむきさがいじらしいほどです。新人の西崎みち子さんの歌菊もかわいらしく、祇園の本物の舞妓さんを動員しての華やかさ。それだけに、半平太の死を暗示させ、橋のたもとで半平太を待ちわびる梅松の姿は哀れさを誘います。
美しくも哀しい橋蔵さんの『月形半平太』は、歴代の半平太の中でも最高峰との誉れが高く、その評価はよほどの名優が今後現れない限り、変わることはないでしょう。
(文責・古狸奈 2012・10・23)
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