「若さま侍捕物帳 鮮血の晴着」
「若さま侍捕物帖 鮮血の晴着」
(1957・3・4 東映京都作品)
原作・城昌幸
脚色・松本憲昌
監督・小沢茂弘
<配 役>
若 さ ま …大川 橋蔵
お い と …星 美智子
遠州屋小吉 …星 十郎
おしゅん …浦里はるみ
阿波屋六左衛門 …徳大寺 伸
露 …三笠 博子
白坂源二郎 …片岡栄二郎
矢代将監 …薄田 研二
ものがたり
強盗団が暗躍する江戸の町。
そんなある日、古寺で鮮血に染まった花嫁衣装を手に、質商阿波屋六左衛門が殺されていた。阿波屋の店先をうろつく若侍。六左衛門には料理屋春月を営むおしゅんという女がいた・・・
捕物帖の醍醐味
橋蔵さんの「若さま侍捕物帖」シリーズ4作目の作品です。城昌幸の原作『五月雨ごろし』より村松道平氏が構成、松本憲昌氏が脚色、小沢茂弘監督で製作されました。
「若さま」シリーズ初期作品のほとんどが深田金之助さんのメガホンで撮影されましたが、この『鮮血の晴着』は小沢茂弘監督となっています。深田作品とは違い、決まって流れていた冒頭の主題歌もなく、事件を追う展開で物語は進められていきます。推理する捕物帖としての醍醐味もあり、楽しめる作品です。
デビューしてから22作品目。1年と少し。橋蔵さんも映画にも少しずつ慣れてきたようで、若さまぶりも板についてきました。モノクロ映画ですが、この当時の橋蔵さんの若さと気品ある美しさは際立っていて、それだけで見る者に、橋蔵さん以外に若さまはいない、と感じさせるほどぴったりのはまり役だったといえるでしょう。
橋蔵さんが描く若さま像
それでも橋蔵さんは若さまの役作りについて、『とみい』32年2月号で自らの考えを述べています。
原作者城昌幸氏が若さまについて、その像を「気品があり、与力佐々島俊蔵が若さまの身の安穏を心しているので身分の高い人であるのがわかる。三葉葵の紋所で、将軍家ゆかりの人なのだろう。あとは想像におまかせ。酒好きでアル中気味。行儀も悪い」としているのに対し、橋蔵さんは「酒は大好きだが、崩れた感じは避け、御殿育ちの鷹揚さと、江戸っ子的な庶民性。台所を覗いたりする稚気あふれる明朗性」のある若さまにしたいと記しています。酒を呑みながら思案する気品と庶民性を併せ持つ若さまを創りだしました。
娯楽性と早撮りの巨匠
ところで、小沢茂弘監督は1922年8月29日、長野県生まれ。本名茂美(しげよし)。長野県立松本中学を経て、日本大学専門部芸術科映画科を43年12月に卒業し、学徒出陣。
終戦後、マキノ正博(のち雅弘)松竹京都撮影所所長の知遇を得て同演出部に入社。その後、東横映画京都撮影所に移り、『笛吹童子』の助監督をつとめています。
54年、監督試験に合格し『野ざらし姫 追撃の三十騎』から76年の『女必殺五段拳』までの20年間で約110本の作品を手がけました。
小沢監督は東映時代劇、任侠映画の巨匠と位置付けられていますが、同じ任侠映画の巨匠として知られる山下耕作監督が芸術面での評価を獲得したのに対し、徹底的な娯楽性を追求した職人監督でした。師事したマキノ雅弘監督が約65年で293本の映画を残したのと同様、「早撮り」で知られ、共に質の高い娯楽作品を多く残しています。
橋蔵さんの出演作では『復讐侠艶録』(56)、『若さま侍捕物帖 鮮血の晴着』(57)、『新吾十番勝負 第2部』(59)、『赤い影法師』、『右門捕物帖 南蛮鮫』(61)、『用心棒市場』(63)などがあります。なかでも『新吾十番勝負 第2部』は現在『1部2部総集編』でしか残っていないため、全編が見られないのが残念です。
任侠路線に転じてからは鶴田浩二さんや藤純子さんの出演作、『博徒』(64)、『緋牡丹博徒』(69)、『日本侠客伝』(71)などを手がけました。68年の『人間魚雷・あゝ回転特別攻撃隊』で京都市民映画賞監督賞を受賞しています。
全盛期には高い観客動員力で「小沢天皇」と称されるほどの権勢を持っていました。シナリオが意に沿わないものだと「チートモ面白ないわ!」と脚本家を震え上がらせました。それが原因か、衰退期になると岡田茂社長に嫌われ、76年に東映を追放されています。その後は占い師に転業。小沢占命塾塾頭・小沢宏瑞として活動。2004年10月12日、リンパ腫によって死去。享年82。
著書に『困った奴ちゃ―東映ヤクザ監督の波乱万丈』(高橋聡との共著 1996年 ワイズ出版)があります。(ウィキペディア、MIXIコミュニティ他)
ひばりさん「塩酸事件」
この『鮮血の晴着』が撮影される前、新春早々の浅草国際劇場で、熱烈なひばりファンがひばりさんに塩酸をかけるという「塩酸事件」が起こっています。今でいうストーカー事件というものでしょう。可愛さ余って憎さ百倍、ひばりさんへの執着が事件を引き起こしたようでした。
この時、共演していた橋蔵さんの付人の西村さんが巻き添えになりました。心配する橋蔵ファンに対して、橋蔵さんは西村さんの奇禍の無事と感謝を『とみい』誌上に載せています。
当時、私はラジオでひばりさんの「塩酸事件」を聞き、衝撃を受けたものでした。でも、橋蔵さんが共演していることなど露も知りませんでした。次の作品『若さま侍捕物帖 深夜の死美人』で私は初めて橋蔵さんに出会ったからです。
事件はともかく、国際劇場の舞台を見た人によると、「夢をみているような美しい舞台だった」とか。夢の中でいいから、見てみたいものですね。
(文責・古狸奈 2015・10・20)
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