「炎の城」
「炎の城」
(1960・10・30 東映京都作品)
脚本・八住利雄
監督・加藤 泰
<配 役>
王見 正人 …大川 橋蔵
王見 師景 …大河内傳次郎
王見 時子 …高峰三枝子
六角直之進 …薄田 研二
六角 祐吾 …伊沢 一郎
六角 雪野 …三田 佳子
多治見庄司 …黒川弥太郎
相楽 宗恵 …坂東 吉弥
猿楽演技者 …壬生狂言社中
ものがたり
約400年昔、瀬戸内の王見城内は明国から帰ってくる若君、王見正人の噂でもちきりだった。だが、正人の留学中に父勝正を謀殺し、位を奪った正人の叔父、師景と腹臣の直之進、今は師景の妻となっている母、時子は正人の帰国を不安な面持ちで迎えるのだった。
正人は師景の暴政の数々を耳にし、狂気を装って帰城したが、正人の狂態も彼を愛する雪野の目を欺くことはできなかった。
ある日、父勝正の亡霊を見た正人は一計を案じた・・・
和製ハムレットの映画化
この『炎の城』はシェークスピアの有名な戯曲『ハムレット』を素材にした作品です。
父親のデンマーク王の死後、位についた叔父・クローディアスと再婚した王妃である母・・・王子ハムレットは父の死に悲しみと疑惑を持ち、愛する母の恥さらしともいえる再婚の事実に憂鬱な日々を送っています。そのうち父王の亡霊により父王が毒殺されたことを知り、復讐を誓うのですが・・・
こうした悲劇は、いつの世、どこの国の人々にも共感を誘うものでしょう。しかし、もともとデンマークを舞台にした戯曲を風俗や習慣、宗教観の違う日本に置き換え、どのように結びつけていくかに、加藤監督は苦慮したと書かれています。単なる復讐劇に終らせず、王見正人という若い魂の苦悩する姿、人間性を描くことに焦点を置きました。
さまざまな試み
衣裳やセット、照明などにもさまざまな試みがなされています。
戦国末期を新しい感覚で描こうと、京都市美術館長で洋画家の重達夫氏に創案を依頼、カメラや照明の担当者を交えて、色調や色感の論議が行なわれました。
先ず、衣裳については、明から新しい知識を学んで帰国した王見正人のハイカラな文化人らしさをあらわすため、異国的な派手な服装となっています。編み上げ靴に赤い袖なし羽織というモダンないでたち。しかも物語の進行する期間はそんなに長い日時でないことから、衣裳の数も少なく、2種類くらいとなりました。
亡霊の色は白に銀を加えた生地に血が赤く流れ、セット・デザインはブルーを基調に・・・など、今までは常識的に処理されていたものを、カメラ技術を考えあわせながら、論議が重ねられたということです。
また、字幕の字体や色彩、タイトル・バックのデザインなどにも意見が交わされ、時代劇には珍しい斬新なデザインとなっています。
毒殺の事実を確かめる場面は、『ハムレット』ではパントマイムですが、この作品ではまだ歌舞伎の登場していない戦国時代ということで、猿楽が用いられました。
「古事記」の一節を猿楽でどう演じるかは、京都の狂言・大蔵流の家元である茂山七五三、千之丞兄弟に依頼、振り付けを一任しました。
一座が演じる天皇を刺し殺した后サホビメのくだりで悲鳴をあげた時子に、正人は動かぬ証拠を見てとります。一方、師景一派も正人の狂態を本物かどうか見破ろうとする大切な場面です。物語の前半と後半との転換になる重要な場面に、時代劇ではあまり登場しない狂言が用いられたことも注目すべきことでしょう。
ローアングル、長回しが特徴とされている加藤監督。この『炎の城』のころはスクリーンという上下、左右が有限の矩形のフレームの中に全てを取り込みたいと考えた時期だったようです。しかし、当時、東映には戸外用の大型クレーンしかなく、急遽セット内で使える木製のベビー・クレーンを作り、移動車に載せて撮影したことが、山根貞男、安井善雄編『加藤泰、映画を語る』(ちくま文庫 2013)に書かれています。バーン、移動、と吉田カメラマンが腸捻転を起こしながら、緊迫した画面の撮影に成功しました。
眼で演じ分ける正気と狂気
さて、橋蔵さんは和製ハムレット、王見正人役で登場します。今までと違ってメーキャップも白塗りの美剣士ではなく、肌色で目元も自然な感じの精悍な仕上がりです。
橋蔵さんにとって、ニセ狂人役は初めての挑戦でした。本物の狂人ならまだしもニセ狂人となると、常態と狂態の演じ分けが難しいのですが、狂人のうつろな眼から、雪野に話しかけられて一瞬正気に戻る淋しげな瞳・・・橋蔵さんは正気と狂気との差の多くを眼で演じ分けています。
それにしても橋蔵さんの狂人ぶりは何故こんなにも悲しげなのでしょうか。
笑いを誘うような部分もなく、終始痛々しく、胸が締めつけられるような気がします。王見正人の若い魂の苦しみがそのまま橋蔵さんの悲しみに投影されているようで・・・
翻案ものの難しさ
師景の寝所に行き、叔父師景を殺そうとする場面。
静寂が画面の向こうからも迫ってくるような中で、正人は刀を抜き、叔父を殺害しようとするのですが、闇討ちは武士道に反するということでとどまります。菩薩像の前で、安らかに眠っている叔父の寝顔を見、自問自答して苦しむ正人の姿は頭では理解できても、何となくすっきりしないのです。
舞台は戦国時代。下克上が普通に行なわれていた時代背景で、誰もいない絶好のチャンスに、刀をおさめてしまう主人公のお人好しぶり。ここに翻案ものの難しさを感じます。
砂漠の中から生まれたキリスト教はイスラム教と同じく一神教です。日本のように八百万(やおよろず)の神々がいて、山にもかまどにもそこらじゅうに神様が存在し、共存共栄しているのと違って、絶対神であるたったひとりの神様しかいないのです。他はすべて邪教。
16世紀の大航海時代。キリスト教の布教と宝物探しを目的に、スペイン人のエルナン・コルテスがメキシコを征服した際、アステカ族を邪教を信じる異教の民として、生かすに値しないものと、ほとんど皆殺しにした激しさを持っています。十字軍遠征や魔女狩りなど、多くの歴史的事実がキリスト教徒の持つ激しさを証明しています。
それだけに個人の生死はひとりの神のみに委ねられ、戒律や掟にも非常に厳しいものがあるようです。心優しい神というよりは、掟を破ったときに与えられる罰を恐れる畏怖の念が当時、中世の人々の心の多くを支配しているように思います。
もっとも宗教は時代と、伝えられていく過程で、その土地にあったように変化していきます。メキシコに肌の黒い褐色のマリア、グアダルーペが誕生したように、おそらく日本におけるキリスト教は、世界中で一番心優しい神となっていることでしょう。しかし、キリスト教の神は本来は非常に厳しい神で、ハムレットは神への怖れから暗殺を思いとどまったのであり、正人が武士道を理由に断念することより、はるかに強烈なものだったはずです。
宗教観の違いから訴える力が弱くなってしまっているようで、翻案ものの難しさを感じます。
共演者たち
オフェリアの雪野役には現代劇の三田佳子さんが抜擢されました。その後、橋蔵さんと多くの作品で相手役をつとめるようになりました。
叔父の師景には大河内傳次郎さん、母時子には高峰三枝子さんが演じています。時子は息子の誤解を解こうと心を砕きますが、結局、正人の危急を助けるため命を落とします。
黒川弥太郎さんの多治見庄司は正人にとって最も信頼できる腹心でした。
農民のリーダー格の青年、相楽宗恵には坂東吉弥さん。「社会党の浅沼稲次郎さんの若いときのつもりで、農民に説明するように」と監督は演技指導。現代感覚をもった演出方法がとられました。
生き返った瞬間に
後半の山場、正人が矢を射られる場面ではピアノ線を張り、慎重な撮影が行なわれました。弓矢を浴びて正人は倒れてしまいます。このとき、農民が一揆の狼煙を上げて城に押し寄せてくるのですが・・・倒れた正人にとどめを刺すこともせず、一揆に浮き足立つ師景一派の侍たち。違和感が残ります。
『炎の城』の最後の結末を正人が死んで終わりにするか否か、随分と議論がされたようです。橋蔵さんと加藤監督は死ぬことを主張しましたが、会社側はファンの希望に沿うよう、悲劇的な結末を避けるよう指示したと言われています。
実際、橋蔵さんはデビュー2作目の『旗本退屈男 謎の決闘状』の半次役で死んでからは、92作目の『勢揃い東海道』の吉良仁吉役で死ぬまで、スクリーン上で息を引き取っていません。『月形半平太』のように死が予想されるものの息絶えるまでは描かず、余韻を残して終わりにすることが多く、『雪之丞変化』の父親が刑死する場面でさえ、「橋蔵さんを殺さないで」というファンの要望が殺到し、マキノ監督は苦笑したと伝えられています。
結局、正人は傷つきながらも意識を取り戻し、叔父の師景を討ち滅ぼすのですが・・・
正人が生き返った瞬間、さまざまな挑戦や試みがなされた『炎の城』は芸術作品から娯楽作品へと移行したのです。そしてそれは、当時、橋蔵さんの熱狂的な人気を物語る証しであると同時に、映画俳優としての賞を受けるチャンスを失った瞬間でもあったのです。
(文責・古狸奈 2011・12・5初出 2015・6・22補足)
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