「赤い影法師」

 

「赤い影法師」

    (19611224 東映京都作品)

   原作・柴田錬三郎

   脚色・比佐芳武 

   監督・小沢茂弘

 

  <配 役>

   若   影 …大川 橋蔵

   母   影 …木暮実千代

   服部 半蔵 …近衛十四郎

   遠藤 由利 …大川 恵子

   柳生新太郎 …里見浩太郎

           柳生十兵衛 …大友柳太朗

ものがたり

 家光の世。江戸の盛り場に現われた2人の法下師。その母子は石田三成の血を引く忍者で、仇討の機をうかがっていた。

 家光が御前試合を開き、勝者に与えられるのは太閤倉から奪った無銘剣10振。そのいずれかの剣の切尖に軍資金の隠し場所が記されているという・・・

 

忍者と剣豪と官能描写

 『赤い影法師』は柴田錬三郎氏の原作で、「週刊文春」に連載された同名小説の映画化です。石田三成に雇われていた木曽谷の忍者「影」3代・・・「影」「子影(母影)」「若影」の活躍を中心とした伝奇小説で、原作では若影よりも、母影と服部半蔵の関係に重点がおかれています。寛永の御前試合の褒賞である無銘剣に軍資金が隠されているとし、太刀を奪い取る影の活躍だけでなく、出場する剣客や試合の様子なども克明に描き出されています。

 人としての喜怒哀楽や情を殺し、ただひたすらに忍術を磨く影としての存在、忍法の秘術を尽くして敵を脅かす忍者ものの面白さだけでなく、試合に挑む剣客たちの思いや試合の場面など、それぞれ違って書き分けられて、剣豪小説としての醍醐味も味わえます。

また、親とも口も利かず、影として生きてきた女影が女としての性を抑えることができずに、半蔵と契りを交わした反省から、若影の若い肉体の性の処理をするといった官能的な場面はじめ、エロチシズムが随所に散在しています。

 

忍者の世界に描かれる愛

 映画では橋蔵さんの主演ということもあって、こうした官能的な場面は排除され、敏捷で颯爽とした忍者としての活躍ぶりが主体となっています。母影と若影は石田三成の血を引く娘と孫に設定され、高貴なイメージ。本来ならば然るべき家柄の母子が影として名前も与えられずに生きていく憤りや、まだ見ぬ父親を慕う若影と、実の父親である半蔵の思いが敵対する立場の中でからみあいます。

 そうした感情を抑えて、御前試合での勝者に与えられる無銘剣の切尖に、豊臣家の財宝が隠されているということから、若影は賞剣を狙い、剣の切尖3寸を奪い去っていくのです。

最後に、若影と半蔵の親子としての情や、たった一度の契りを胸に秘める母影と半蔵の思いなど、武蔵野での戦いと別れは哀歓を盛り上げ、クライマックスへと繋がっていきます。忍者の世界に描かれる親子や男女の愛情が重要なテーマとなり、原作にはないロマンの薫り高い忍者映画となっています。

 鎖頭巾を被った忍者スタイルで、いつもとは違った立ち回りをみせる橋蔵さん。手裏剣を投げる手さばきは後の「銭形平次」を連想させますね。

 

陰謀が渦巻く御前試合

 ところで、巷説でお馴染みの「寛永の御前試合」は徳川の記録にはなく、史家に否定されているが、実際に行なわれていた、と作者の柴田錬三郎氏は小説の中で記しています。

そのあたりを要約すると、「寛永御前試合は公儀において隠蔽せざるを得ない事情が起こり、巷間ではその事情を知りつつ、口伝え以外は遠慮」したもので、「試合は14日間にわたって、10試合が行なわれ、諸侯や旗本の列座はなく、覧たのは家光ただ1人であった」とか。御前試合の観覧が将軍ひとりというのはちょっと意外な感じがしますが、それが事実のようです。

映画では家光と春日局のふたりだけ。

この御前試合には剣客の腕前を競うだけでなく、陰謀が渦巻いていて・・・

ひとつは柳生十兵衛と新太郎の同族同士の真剣勝負。将軍の座を争った家光の舎弟、尾張中納言忠直卿が謀反した場合、目覚しい働きをするであろう尾張藩家臣の新太郎を事前に封じてしまおうと、御前試合にかこつけて、十兵衛に新太郎を斬らせる陰謀。その企みに気づいた十兵衛は御前試合の当日、新太郎の鉢巻を斬ることで勝敗を決するのです。

ふたつ目は薙刀の使い手、遠藤由利を勝たせ、将軍家光の目にとまらせ、側室に送り込もうという春日局の企て。由利の対戦相手の鴨甚三郎に密かに勝ちを譲るよう謀る春日局。試合のあと、事実を聞かされて愕然となる由利・・・

御前試合は全部で5試合。それぞれが特色あるリアルな殺陣にしようと、足立伶二郎氏と剣道師範の中島正義氏によって、一番一番丁寧に考案されたということです。御前試合は見逃せない場面のひとつでしょう。

 

豪華な出演者

62年の正月作品として製作された『赤い影法師』は、出演者も豪華です。若影の大川橋蔵さんのほか、木暮実千代さん(母影)、近衛十四郎さん(服部半蔵)、大友柳太朗さん(柳生十兵衛)、里見浩太郎さん(柳生新太郎)、大川恵子さん(遠藤由利)、花柳小菊さん(春日局)らが脇を固めています。大河内傳次郎さんや黒川弥太郎さん、品川隆二さん、山城新伍さん、平幹二郎さんなど、いちいち書ききれないほどの豪華さです。

大川恵子さんの女武芸者ぶりや木暮実千代さんの女忍者、橋蔵さんの手品の冴えにもご注目。

 

忍者ものブームのはしり

『赤い影法師』が発表された頃から「忍者もの」はブームとなっていきます。

196011月から625月まで、「赤旗」の日曜版に掲載された村山知義氏作『忍びの者』は6212月に市川雷蔵さん主演で映画化されると一世を風靡し、「忍びの者」シリーズとして66年までに8本製作されました。

それまでも忍者ものは人気がありましたが、忍者が忍術を唱え、「ドロンドロンパッ」と消えてしまうトリック的なものが中心でした。しかし、忍者が当時の最先端技術を駆使し、強靭な肉体に鍛え上げられた武術者とした視点は忍者を一個の人間ととらえ、組織の中でがんじがらめになっていく悲惨さを映し出していました。折からの高度成長期の日本にあって、多くの企業戦士たちに共感を与えたのです。

また、1958年、『甲賀忍法帖』を発表した山田風太郎氏は196011月から615月まで、「講談倶楽部」に『くノ一忍法帖』を発表。こちらは豊臣家の子孫を残そうと、秀頼の子種を宿した5人の女忍者が活躍する物語で、お色気たっぷりの作品となりました。

『赤い影法師』はこうした一連の忍者ものの中で、最初に発表されたもので、忍者個々の人間性とリアルな忍術を心がけて製作され、今までとは違った殺陣が工夫されました。

 

橋蔵さんの前作『若さま侍捕物帳 黒い椿』が封切りされてから、この『赤い影法師』まで約3ヵ月の空白期間がありました。それまではほとんど月1本のペースで上映されていた橋蔵さん作品。東映が大作主義に踏み切ったからなのか、それとも他の事情があったのか、当時子どもだった私には知るよしもありませんが、随分と待ち遠しかったことでした。

 

 

(文責・古狸奈 2012326