「風流使者 天下無双の剣」
「風流使者 天下無双の剣」
(1959・5・5 東映京都作品)
原作・五味康祐 脚本・結束信二
監督・松田定次
<配 役>
本多 左近 ・・・市川右太衛門
稲葉屋次郎吉 ・・・大川 橋蔵
竹 千 代 ・・・長谷川裕見子
斐 姫 ・・・桜町 弘子
佳 永 ・・・大川 恵子
藤木 道満 ・・・月形龍之介
島田虎之助 ・・・大友柳太朗
ものがたり
仙台伊達62万石陸奥守の叔父、藤木道満は陸奥守の病弱を利用して伊達家の実権を握り、血気の青年剣士を集め天下を狙っていた。
飯山領主豊後守の弟本多左近、人呼んで気まぐれ左近は芸者竹千代を使って、道満の行状を探っていた。竹千代は連判状を盗もうとして失敗、左近に救われた。
左近が乗り出したことを知った道満は小野派一刀流の達人、島田虎之助を使って左近を討たせようと謀り、左近の名を騙って、虎之助と恋仲の佳永の父、室賀三太夫を殺してしまう。仇と思いこみ、左近をつけ狙う虎之助・・・
剣豪小説、オーディオに観相学
原作者・五味康祐(ごみやすすけ)は1921年12月20日、大阪市難波生まれ。通称こうすけ。本名は欣一といい、1952年『新潮』12月号の「同人雑誌推薦新人特集」に掲載された『喪神』が1953年、第28回芥川賞を受賞。ちょうど週刊誌発刊ブームと重なって、一躍人気作家に躍り出ました。
1956年の『週刊新潮』創刊号から『柳生武芸帳』を執筆。柴田錬三郎と剣豪小説の新しい分野を切り拓きました。『薄桜記』、『秘剣柳生連也斎』、『刺客』、『二人の武蔵』などの著書があります。
また、オーディオの神様と呼ばれるほどクラシック音楽評論にも長け、『西方の音』、『音楽巡礼』などの著作のほか、手相、観相学、マージャンなどにも詳しく、56歳のとき、「自分の命は58歳まで」と自らを予言したといわれています。
1980年4月1日、死去。享年58。(Wikipedia 他)
白の着流し、白覆面
映画は主人公、本多左近が藤木道満の悪事を暴く活躍を縦軸に、左近を仇と狙う虎之助との対決を横軸に進められていきます。
本多左近の身なりは「風流使者」のイメージを強く打ち出した、白の着流しに白覆面。衣裳を娯楽映画の大切な要素と考える右太衛門さんらしく、旗本退屈男と同様の凝りようです。立ち回りの場面で、斬られ役の黒づくめの絡み手の中で、際立つ白。主人公はあくまでも颯爽としていて、格好よく、全てが計算された様式美を備え、右太衛門さんの好みが色濃く反映されているようです。本多左近の衣裳はこの作品の見どころのひとつでしょう。
もうひとつの見どころは藤木道満を黄門さまに重ねて描いていることでしょう。もとより水戸黄門は月形龍之介さんの当たり役。藤木道満に仙台黄門を名乗らせているところに、製作上の遊びと余裕を感じます。
ところが今回の道満は魔性の剣を使う悪役。凄みのある剣客で、『新吾十番勝負』の武田一真に通じるもの。道満の秘剣は音無しの太刀。『眠狂四郎』の円月殺法に似た構えで決めて、さすが月形龍之介さんと思ったことでした。
狂言回しの次郎吉さん
この作品で、橋蔵さんは稲葉屋次郎吉を演じています。盗みが道楽で、難しそうな相手から金品を盗み、成功したら相手に返してやる、という一風変わった盗人。次郎吉にぞっこんの女房お悦が自分の元に連れ戻そうとするのを、逃げ出しては道楽に興じ、道満一味の連判状を盗んだことから、事件にかかわっていくのです。
最後に将軍のお墨付きを懐に入れ、主命を帯びた左近を見て、お墨付きを盗みたい悪戯心が起き、「手はじめに馬の手綱をいただきやしょう」と、旅立つところで幕となります。果たして次郎吉さん、お墨付きを盗むことができたでしょうか。
映画では立ち回りの場面がふんだんに盛り込まれているのですが、今回の橋蔵さんの次郎吉には立ち回りはありません。
そんな次郎吉に与えられたのは狂言回しの役どころ。事件の発端を述べる次郎吉の軽妙な語り口やお悦とのやりとりは楽しく、切迫した対決場面の多い中で、橋蔵さんの次郎吉の登場は、画面に安らぎと華やぎを与えています。
絢爛豪華な出演者
セミオールスター作品の『天下無双の剣』は出演者も華やかです。
大友柳太朗さんが左近を仇と狙う島田虎之助、道満の剣の極意を知りたくて、傍に従い、魔性の剣に翻意する若山富三郎さんの高柳又四郎と片岡栄二郎さんの速水周平。
女優陣は竹千代の長谷川裕見子さん、左近の妹で剣の使い手、斐姫は桜町弘子さん、次郎吉の恋女房お悦の雪代敬子さん、虎之助の許婚佳永の大川恵子さんと実に絢爛豪華。
職人芸の監督とスタッフ
これだけのスターを出演させる映画の製作は脚本家や監督にとって、さぞかし大変だろうと思うのですが、それほどでもなかった、と脚本家の結束信二氏は『映画40年全記録』(キネマ旬報増刊2・13号 キネマ旬報社 1986・2・13)の中で記しています。もっとも、宣伝部は大変だったようですが・・・
「オールスター映画の場合、もともと一家言ある大スターたちを集める映画だから、さぞうるさいだろうと思うのは、むしろはた目であって、実際の製作は普通の映画と格別の違いはなかった」と言い、「どの作品も作ってみれば普通の作品と別に違いはない。心得たベテランの脚本家が、やはり心得たベテランの監督やベテランのスタッフを集めて作る。・・・言ってみれば慣れた職人芸で製作していた」といいます。
その職人芸たるや、渡辺邦男監督の例をあげ、『日輪』撮影時に、早撮りはもちろん、撮影しながら千恵蔵、右太衛門両御大のアップ数からコマ数まで同じに仕上げてしまったエピソードを取り上げています。
そしてまた、「どんなに条件が悪くても不景気であっても、撮影が間に合わないということは東映京都に関する限り一度もなかった。必ず封切りに間に合わせていた」と、文句も言わず、黙々と働くスタッフに驚嘆しています。
「東映の全盛期は日本映画の全盛期」で、オールスター映画はもう作れないだろう、という根拠に、縁の下の力持ちに甘んじた大勢のスタッフを集めることができないからだ、としています。
事実、この当時の東映時代劇を見るとき、監督からちょい役のエキストラ、スタッフに至るまで、映画バカとでも言って憚れないほど、映画が好きでたまらないという人々の息遣いと熱気をスクリーンに感じてしまうのです。
それが私を、橋蔵さんを主とした60年代頃の東映時代劇の虜にしているのかもしれません。
2015年1月、京橋のフィルムセンターで企画された「東映時代劇の世界」に集まった多くの人たちもきっと同じ思いだったことでしょう。
(文責・古狸奈 2015・2・15)
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