「修羅時鳥」

 

「修羅時鳥」

    195725 東映京都作品)

   原作・吉川英治 

   脚本・棚田吾郎 

   監督・萩原 遼

 

   <配 役>

    銀 荘太郎 …大川 橋蔵

    小松 衣江 …田代百合子

     お   梶 …松風利栄子

  戸狩弾十郎 …加賀 邦男

  門 兵 衛 …渡辺  篤

  阿波 次郎 …徳大寺 伸

         渋川 十蔵 …月形龍之介

ものがたり

 旅からの帰宅途中、戸狩弾十郎に襲われ、命を落とした銀荘右衛門には、妻の悋気にあい、乳母につけて逃がした子供がいた。後日の証拠にと、月に時鳥の蒔絵の姫櫛を渡していた。その子、荘太郎が江戸にいると聞き、尋ねての旅の帰路、災難に遭遇したのだった。

 一方、成長した荘太郎は、許婚の衣江の父親が殺されたことで、自分と思うようにと櫛を預け、仇を探しに旅立っていったが、その後の消息は杳として知れなかった。

2年後、衣江は本多家当主、亀之助に迫られ、拒絶したため、座敷牢に。運よく帰ってきた荘太郎に助け出されるが、逃げる途中、大切な櫛をなくしてしまう・・・

証拠の櫛を手に入れ、銀家の財産を我がものにしようとたくらむ犬山の腹臣、弾十郎、小悪党の門兵衛、次郎の3人が暗躍。櫛を探しに町に出た衣江は本多家家臣に見つかり、再び屋敷に連れ戻されてしまう。

犬山は銀家の財産を乗っ取ろうと、衣江を連れて因州へ。衣江を助けようと一行を追う荘太郎・・・お梶・・・

 

吉川英治の初期代表作

 この『修羅時鳥』は吉川英治の初期代表作品で、時代小説の典型的な興趣を盛りこんだ傑作といわれ、戦前は再三映画化されました。

 莫大な跡目相続とそれにまつわる証拠品をめぐって、善悪が入り乱れ、証拠品を奪い合うという筋立てはよくみられるパターン。現在のようにDNA鑑定などありませんから、唯一、渡したとされる証拠の品だけが頼りというわけです。

 

衣江は当時の理想の女性

 荘太郎の許婚、衣江は大切な櫛をなくしたため、思いつめ気が狂ってしまいます。衣江を演じる田代百合子さんの淑やかな美しさもさることながら、ひたすら荘太郎を愛し、信じ続け、本多家当主に迫られても拒絶する、凛とした衣江の姿は当時の観客の共感を呼びました。言ってみれば、衣江は昭和30年代の理想の女性像だったのです。

 映画はその時代の風俗や価値観を如実に表しているものです。現代劇に限らず、時代劇でも、最近のNHK大河ドラマ『篤姫』などをみてもわかるように、登場人物の描かれ方は、製作された時代の好みや風潮を反映しています。

 淑やかで美しく、恋人に真実の愛を捧げる衣江はまさしく当時の男性たちにとって、憧れの的だったに違いありません。女性にとっても、理想の男性と結婚し、幸せな家庭を築くことが夢とされていた当時、どのようにしたら意中の男性を射止められるかが、女性雑誌の最大のテーマでした。そうした中で、理想とされていたのが衣江のようなタイプだったんですね。

雑誌には毎号、どう振舞ったら男性に愛される可愛い女になれるかがこと細かく書いてあって、多くの女性が淑やかで従順な理想像をめざしましたが、そうなれた人もなれなかった人も・・・

 

理想の男性像、荘太郎

 一方、理想の男性はもちろん、橋蔵さん扮する荘太郎。強くて優しくて、水も滴る美男ぶり。

助け出された衣江が櫛をなくしたことを知ったとき、気にするな、と言い、思いつめて気がふれた衣江を見て、そういう姿にさせたのは自分のせい、という優しさ。

 もちろん、剣をとれば誰にも引けをとらず、愛する人を助け出そうと、単身乗り込む勇気ある姿。おまけに美男ときているのですから、荘太郎は当時の理想の男性像といっていいでしょう。そういう荘太郎に愛された衣江は幸せですね。羨ましい!

 田代百合子さんはこのあと、東映を離れてしまったため、橋蔵・田代コンビは『修羅時鳥』が最後となりました。

 

志戸坂峠

 この作品の舞台となった志戸坂峠は因幡街道の大原、智頭間の岡山と鳥取県境に位置し、鳥取城下から姫路城下を結び、やがては大坂、京都へと続く交通の要所だったそうです。

道は三十三曲がりと呼ばれ、冬は雪が深く、牛馬が通わないほどの険しい道のりであったにもかかわらず、江戸時代には参勤交代をはじめ、人々の往来が絶えることはなかったとか。

現在も国道373号線、智頭急行が通る交通の要所となっていますが、考えてみれば瀬戸内海側から日本海側に抜ける街道はあまりなくて、若いころ、山陰を旅したときも京都から城崎温泉経由の山陰本線を利用したことを思い出します。

スクリーンに出てくる険しい山並みと、現在でも同じような山々が迫る景色の写真を見て、チャンスがあったら訪ねてみたいと思ったことでした。

 

(文責・古狸奈 201075