「笛吹若武者」
「笛吹若武者」
(1955・12・4 東映京都作品)
原作・北条秀司
脚本・八尋不二
監督・佐々木康
<配 役>
平敦盛 …大川 橋蔵
玉織姫 …美空ひばり
平経盛 …宇佐美 諄
椿の前 …月丘 千秋
桂 姫 …星 美智子
近衛基道 …明石 潮
熊谷直実 …大友柳太朗
ものがたり
父平経盛に会いに、母椿の前と都に上ってきた玉織姫は、ある月の晩、平敦盛と出会い、お互いに惹かれるようになっていきます。しかし2人の恋にはさまざまな障害が・・・。
やっと結ばれた喜びもつかの間、都は木曽義仲の兵に攻められ、平家一門は西国へと逃れて行きます。
敦盛の安否を気遣う玉織姫のもとに、息子の供養に訪ねて来た熊谷直実に、敦盛の死を知らされた玉織姫は自殺を図ろうとしますが・・・
橋蔵さんデビュー作
この『笛吹若武者』は歌舞伎界で若女形として将来を嘱望されていた橋蔵さんが、はじめて映画出演したデビュー作です。当時は歌舞伎から映画入りした俳優も多く、中村錦之助、市川雷蔵、伏見扇太郎さんらがすでにスクリーンで活躍していました。
橋蔵さんも10年ほど前から誘われていましたが、ずっと断り続け、1、2本だけ経験のために出演することにした、と映画出演までの経緯を語っています。
東映では中村錦之助、東千代之介、伏見扇太郎に次ぐ第4の新人として売り出すことに決定、大型新人として期待が寄せられました。
トミイマミイコンビ誕生
初めての映画出演で勝手のわからない橋蔵さんをうまくリードしてくれたのが、玉織姫役の美空ひばりさん。当時、歌手としても女優としても人気絶頂だったひばりさんは多くの新人男優をスターダムにのし上げています。中村錦之助、東千代之介、高倉健、里見浩太郎・・・ひばりさんを見に来たファンがそのまま男優の方に横滑りしていく構図です。
特に橋蔵さんとひばりさんのコンビは黄金コンビとして、ファンに受け入れられ、その後多くの作品に共演することになります。トミイマミイコンビが誕生した瞬間です。
平敦盛
平敦盛(1169―1184)は平清盛の弟、平経盛の末子で、官位は従5位下。官職についていなかったので、無官太夫と呼ばれていました。祖父平忠盛が鳥羽院より賜った青葉の笛(別名・小枝)を譲り受け、笛の名手として伝えられています。
一の谷の合戦で熊谷直実に呼び止められ、敦盛は首を落とされてしまいます。戦とはいえ、わが子と同じような敦盛を討たなければならなかった直実は戦さのむなしさを感じ、のちに出家してしまう話は有名です。
若き貴公子の死は哀れさを感じさせ、能や幸若舞、謡曲の題材として取り上げられていきました。歌舞伎の「一谷嫩軍記」熊谷陣屋では、敦盛は後白河院のご落胤で、それを知った熊谷直実がわが子小次郎の首をはね、身代わりにさしだす、といった筋立てになっています。
敦盛の墓所は高野山奥の院に、胴塚は須磨浦公園に、首塚は須磨寺に建てられています。
また須磨寺には敦盛愛用と伝えられる青葉の笛がのこされています。
玉織姫伝説
一方の玉織姫はいったい何者なのだろう、とさがしてみたら、Wikipedia と花林どううねさんのサイトに興味深い記述を見つけました。非常に細かい内容なので、私なりに要約させていただきますと・・・
玉織姫は架空の人物とするのが一般的ですが、広島県庄原市に「敦盛さん」という民謡が残されているとか。敦盛の室・玉織姫が敦盛は生きているという噂をたよりに各地をたずねまわり、庄原に移り住んだと伝えられ、庄原市春日に玉織姫の墓があるそうです。
敦盛に妻ないしそれに近い存在がいたか、となると、平家物語異本である四部合戦状本では文や和歌を通して、平教盛の娘が敦盛の愛人であると表現されているそうです。
室町時代以降の文学、芸能は「平家物語」に基づいている世阿弥の謡曲「敦盛」を除いて、敦盛に妻、愛人がいる場合が多いようで、幸若舞「敦盛」…新妻が存在、御伽草子「小敦盛」…新妻が懐妊、敦盛死後出産、謡曲「生田敦盛」…妻、子供の誕生、1686年(貞享3)「雍州府志」巻8には敦盛の妻は源資賢の娘であるとし、敦盛生存中に出産しています。
時代が下がるにしたがって、家族構成がしっかりしてくるようで、敦盛を死なせたくない、庶民の願いが表れているように思います。
『笛吹若武者』では再会を喜ぶ2人が小舟に乗って、いずかたなく去っていく余韻のある場面で終っています。
隣町の名画座で
『笛吹若武者』を封切時に見落とした私は、3年くらい後に、住んでいる街から3駅隣の名画座で上映されることを知り、いそいそと出かけていきました。
中学生になってからは、映画館が家から4、5分と近いこともあって、ほとんど一人で見に行っていました。今ならすぐさま補導されてしまうのかもしれませんが、当時はラブシーンの濃厚な洋画はともかく、時代劇映画は健全な娯楽と考えられている節があって、行き先さえ告げれば、親からも周囲からもうるさいことは一切言われませんでした。受験も今ほど厳しいこともありませんでしたから、適当に勉強してあとはどっぷり橋蔵さんに浸かっていた3年間でした。
『笛吹若武者』を見に行ったころは、橋蔵さんは人気も実力も押しも押されもせぬ大スターになっていました。画面もスコープで総天然色。
そんな私の目に映ったのは白黒で鮮明さに欠けた薄暗い画面でした。それでも気品ある敦盛はまさしく橋蔵さんそのもので、アップに映し出された橋蔵さんは気高く美しく、食い入るように見た記憶が残っています。
ただ橋蔵さんの演技はまだおぼつかなく、ものたりなく感じたものでした。舞台調のちょっと力んだ台詞回しが気になり、はじめて行った映画館だったこともあって、何となく落ち着かなかったことを覚えています。
ファンにも鑑賞眼というようなものがあるとしたら、何本もみることによって、俳優と同じペースで成長していくのかもしれませんね。
(文責・古狸奈 2010・4・30)
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