「新吾二十番勝負」

「新吾二十番勝負」第一部

      196113 東映京都作品)

  原作・川口松太郎 

  脚色・川口松太郎/中山文夫

  監督・松田定次

 

  <配 役>

   葵  新吾 …大川 橋蔵

   甲賀新八郎 …沢村 訥升

   由 紀 姫 …丘 さとみ

   お   縫 …桜町 弘子

    お鯉の方  …長谷川裕見子

   白根弥次郎 …平 幹二朗

   納富一無斎 …大河内傳次郎

   酒井讃岐守 …三島 雅夫

   六尺六平太 …千秋  実

                徳川 吉宗 …大友柳太朗

ものがたり

 将軍吉宗を父として生まれた葵新吾は宿敵武田一真を倒して、天下第一の称を得たが、彼の行方には険しい剣の道が続いている。西丸派の刺客・大賀陣蔵、新たな敵・白根弥次郎・・・

やがて新吾は山中で襲われる公卿を助けたことから・・・

 

追う立場から追われる立場へ

『新吾十番勝負』が好評だったことから、1961年の正月作品として『新吾二十番勝負』が製作されました。すでに宿敵武田一真を倒して、日本一の剣士との称号を得た新吾の前に、新たな敵・白根弥次郎、西丸派の刺客・大賀陣蔵などが現われ、戦いを挑みます。

今までは一真を追う立場だった新吾が『二十番勝負』からは天下一の新吾を倒すことで、自分が日本一になれるという野望にとりつかれた剣客たちに狙われる、追われる立場へと逆転しています。トップの座を守ることがいかに大変なことなのか、終わりのない修行の道を歩む新吾を橋蔵さんは気高く優美に演じています。

「新吾」シリーズがはじまってから、橋蔵さんの殺陣は華麗さに鋭さが加わってきました。

後ろに束ねた髪の長さが『十番勝負』からの時の経過をあらわしています。

 

新たに個性的な人物登場

監督は『新吾十番勝負』と同じ松田定次氏。脚色は原作と同じく川口松太郎氏と中山文夫氏。手馴れた構成で、武田一真に代わる新しい人物の出現や事件の展開が巧みで、見る者を飽きさせません。

『二十番勝負』では新たに個性的な人物が登場します。

新しく新吾に挑みかかる不敵でふてぶてしい白根弥次郎は平幹二朗さん。

その師の納富一無斎は大河内傳次郎さんで、老剣士の風格をみせています。弟子・白根弥次郎の行いを正そうと山を下り、弥次郎を討とうとするのですが、不憫さが募って果たせず、揺れる心の動きが見事です。新吾との立ち合いでのキッとした表情に威厳を感じます。

甲賀新八郎を演じるのは沢村訥升さん。歌舞伎出身の訥升さんは女形までみせるサービスぶり。耳と足の速い千秋実さんの六尺六平太が笑いを誘います。

そのほか、『十番勝負』から引き続き、吉宗(大友柳太朗)、お鯉の方(長谷川裕見子)、お縫(桜町弘子)、由紀姫(丘さとみ)、酒井讃岐守(三島雅夫)と新吾にかかわる人間模様も豪華な配役となっています。

 

「新吾さまに惚れたのです」

時代劇は全てが昔のものと考えてしまいがちですが、製作された時代の世相や考え方を反映しているものです。現在、作られている時代劇も原作の漫画をイメージした主人公だったり、髪型や台詞なども現代に通じる変化を見せていたりします。

この『新吾二十番勝負』では丘さとみさんの由紀姫に、60年代の日本女性の意識をみることができます。父親の讃岐守に向かって由紀姫が「私は新吾さまに惚れたのです」というくだり。それまでは女性の方から好きな相手に、自分の思いをあからさまにすることははしたないとされていました。それが60年代頃になって、自分の気持ちに正直に行動する女性が現れてきました。そういう意味で由紀姫は当時の最先端を行く、一般女性にとって、憧れの女性だったといえると思います。由紀姫の率直さやかわいらしさは21世紀になった今日でも通じる魅力です。

 

新吾と共に旅する観客

物語の面白さはもちろんですが、『新吾』シリーズのもうひとつの魅力は、新吾が旅する風景に浸ることが出来ることでしょう。今ほど旅行が一般的でなかった時代、険しい雪山や広々とした海原をみるとき、その地を旅しているような気分になれたものでした。特に大名行列が通った里山の自然はいまはどのようになっているのでしょうか。全ての道がアスファルトになってしまった現在、それだけで時代劇は窮地に追いやられているといえるのではないでしょうか。

大名行列にしろ、大奥に居並ぶ御殿女中など、エキストラ動員数の多さも東映時代劇黄金時代を物語る証しです。

 

江戸幕府の公家政策

時代劇をより楽しく見るための歴史探訪、今回は江戸幕府の公家政策について触れてみましょう。

将軍は正式には征夷大将軍といい、武家としては最も高い位ですが、帝や摂政、関白などに比べれば、下の地位になるものです。

その昔、平清盛が武士でありながら、太政大臣まで上りつめ、公家に同化し武家らしさを失って滅びたことから、源頼朝は平家を滅ぼしたあとも京に上らず、鎌倉に幕府を開き、武士の世を実現させました。徳川家康は源頼朝にならい、身分は征夷大将軍のままで、江戸幕府を開いたのです。とはいえ、将軍より身分の高い帝や公家たちの処遇を誤まれば、帝を担ぎ出し、政権を奪おうとする輩が出ないとも限りません。事実幕末になると勤皇派と称し、倒幕の大義名分となりました。

 

天皇は尊んで扶持せず

こうしたことから、「禁中並公家諸法度」が編まれました。この「禁中並公家諸法度」は江戸幕府が天皇及び公家に対する関係を確立するために定めた法令で、徳川家康が金地院崇伝に命じて起草、慶長20717(1615・9・9)、二条城において、家康、秀忠、三条昭実3名の連署にて公布されました。漢文体で17条からなり、江戸時代中、一切改定されませんでした。

これによると、天皇の仕事は学問をすること(第1条)であり、摂関の任免(第4条)、公家の官位と武家の官位は別のもの(第7条)といったことが記されていて、公家や武家、僧侶などが、天皇から大政委任を受けた征夷大将軍に仕えるための秩序つくりの法令だったことがわかります。

実権は掴んだものの、徳川幕府にとっていつ災いとなるかもしれない帝や公家が、力を持たぬよう神経を尖らせていました。「天皇は尊んで扶持せず」・・・尊敬はするが経済力は与えてはならない。それが幕府の禁裏に対する方策だったのです。

それを新吾が破ってしまったのですから、さあ大変。吉宗の「新吾を捕らえよ」と命じ、「父は将軍なのだ」と内省する台詞は、将軍として政権を安泰に維持しなければならない為政者の立場と、子を思う父親の心情との相克に悩む苦衷の言葉なのです。

 

映像表現の効果と醍醐味

作品中、多くの見どころのある中で、何といっても圧巻は最後の新吾と吉宗との対面の場面でしょう。新吾が朝廷に寄進したことで、お鯉の方や讃岐守が責めを受け、それを弁護しようと、新吾が二条城の将軍に会いに駆けつけます。「将軍はどこだ」、「将軍に申し上げたき義がござる」と叫びながら、止めようとする家来を振り払い、襖を次々に開け放ちながら、奥へ奥へと進んでいく新吾。最後の襖を開けたとき、そこにすっと立ち上がる父、将軍の姿が・・・画面全体に緊張が走ります。

次の瞬間、吉宗と新吾の顔が交互に大写しになり、吉宗の目から涙が溢れてきて・・・それに気づいた新吾の表情がゆがみ、逃げるように二条城を後にするのです。

奥座敷の端から端、距離をおいて対峙している吉宗と新吾。果たして実際に座敷の入り口に立っている新吾の目に父の涙か見えたかどうか。しかし、映画という映像芸術は大友柳太朗さんの大きな目から涙が溢れてくるのをしっかりととらえ、見る者に感動を与えるのです。これこそ映画の真骨頂、醍醐味といえるでしょう。舞台だったらこうした眼の演技だけで、これほどの感動が得られるかどうか疑問です。おそらく舞台の特徴を活かし、身体全体を使っての違った演出や表現になることでしょう。

やっと父子の対面ができたかと、思ったのに、お互いが見つめあい、「父上」、「新吾」と小さく言葉を発するだけで、抱き合うこともなく、またもや別れてしまう親子。ハッピーエンドで終らない結末。そこにも当時の美意識が反映されています。

「将軍が泣いている。父上が泣いている」

吉宗の涙に父親の愛情を感じとった新吾が朝焼けの道を馬で駆けていく姿に、第一部は余韻を残して幕を下ろすのです。

 

 

(文責・古狸奈 2013228