「ふたり大名」

 

「ふたり大名」

    (1957528 東映京都作品)

  原作・小島健三 

  脚色・中田竜雄

  監督・深田金之助

 

  <配 役>

   六郷義光・弥太 …大川 橋蔵

   梅  香    …千原しのぶ

   琴  姫    …桜町 弘子

   六郷乗政    …三島 雅夫

   勘  十    …杉  狂児

              秋田三左衛門  …清川 荘司

ものがたり

 出羽六郷藩の若殿、聡明の聞こえも高い義光が江戸屋敷内で何者かに殺された。国表では大殿、乗政が急病で倒れたという。

 同じ頃、柳橋に近い船宿「舟よし」の船頭、弥太は恋仲の芸者、梅香の母親の薬代を何とかしようと、金の工面に思案していた。

 そこへ、11両の仕事があるという。急死した若殿の替え玉になることだった・・・

 

若殿と船頭を演じわけ

 橋蔵さんが若殿と船頭の2役を演じる明朗時代劇。お家乗っ取りを企む悪臣たちの動きを察し、毒殺されたと見せかけて、悪事の証拠を掴もうとする若殿、六郷義光と、その若殿に瓜二つということで、義光の身代わりとして雇われる船頭、弥太を実に楽しそうに演じ分けています。

 外見は殿様でも、そわそわと威厳のない弥太の若殿ぶりに対し、姿は町人の旅装束でも風格の漂う義光。俗に「馬子にも衣装」と言いますが、衣装だけでは殿様の風格は出てこないということがよくわかります。同じ若殿の姿でも中身が本ものの義光のときは、聡明で気品ある若殿ぶりなのに、弥太のときは姿勢はもちろん、歩き方から座り方、果ては首や目の動し方まで町人そのもの。許婚の琴姫に見破られるのも当然といえそうです。

 そうした違いは演技面だけでなく、メイクなどにも気が配られていて、弥太の殿様のときは完全な白塗りでなく、日焼けした顔に仕上げられています。白黒映画なので、色まではわからないのですが、映像は本ものよりややグレーがかり、顔が光って見えます。しっかり町人の顔になっているのです。

 

さりげなくみせる芸の細かさ

 橋蔵さんの映画をいろいろと観てきて、最近感じるのは、橋蔵さんは実に芸が細かい、ということです。いわゆる観客に受けのいい、派手な演技は見せませんが、限られた枠の中で最大限の役作りをする役者ではないか、と思うのです。

 若殿なら若殿、船頭なら船頭、という与えられた役の中で、最大限にその役になりきる・・・もしかしてそれは、誰も気づかないかもしれないような、さりげない動きの中で顕著です。

 テレビ『銭形平次』のビデオ版、『矢場へ来た用心棒』の中で、銭形平次が素浪人姿に化けて、美空ひばりさんのお光が働く矢場へ来る場面があります。ところが、この橋蔵さんの浪人姿がどことなく変なのです。いつものようには、しっくりこないのです。

 『美男の顔役』をはじめ、橋蔵さんの浪人は着流し姿も美しく、惚れ惚れとして見とれてしまうのが常なのですが、このビデオを最初見たときは、違和感があって落ち着きませんでした。

 何だか変、と思いながら、観ていると・・・横丁を曲がる浪人の後姿はまさしく平次親分。そのときになって、橋蔵さんはただの浪人ではなく、平次が化けている浪人を演じていたのだと納得しました。

 何という芸の細かさでしょうか。さりげないところまで、細心の注意を払って役作りをする橋蔵さん。だからこそ、観る者としては、安心して映画に浸ることができ、楽しむことができたのかもしれません。

 

月に2本の主演映画

 この『ふたり大名』はデビューして1年半後、25作目の作品です。このころになると橋蔵さんの人気はうなぎ上り。1月の間に2本の主演映画が封切られるほど、超多忙な毎日を過ごしていました。今回は2役でしたから、午前と午後で早変りしたり、雑誌のグラビアや対談にも出演中の衣装のまま、取材に応じることも多かったようです。まさしくアイドルそのものだったのですね。

 弥太の恋人、梅香に千原しのぶさん、義光の許婚、琴姫に新人の桜町弘子さん(松原千浪改め)が演じています。

 いつもは悪役の清川荘司さんが今回は義光側の家老、三左衛門役で登場です。

 今まで若さま役が多かった橋蔵さんは弥太の役は楽しいと語り、のびのびと弥太を演じています。

 

漢文が読めればなれた医者

 ところで、江戸時代の医者は、宮廷の侍医や各藩の抱えた医者を、御抱(おかかえ)医者または御殿医といいました。完全な実力本位で、町医者でも腕を見込まれて登用された例は多々ありました。

 医者の数として圧倒的に多かったのは町医者でした。江戸の医者には免許制度はなく、誰でもなることができたため、薬屋に毛のはえた程度のにわか医者もあちこちに見受けられました。

しかし、評判が悪い、俗に言う「藪医者」は自然淘汰されていったようです。

町医者の出身はさまざまで、武家の二、三男が、本草学などの医学書が漢文で書かれていたため、漢学の素養をもとに開業したり、薬種問屋の番頭から転じたりしたようです。

医者の身分は武士ではないのにかかわらず、名字帯刀を許されていました。庶民では身分の高い人に会えず、治療に支障をきたすため、剃髪し、世俗の者でなくなることで、相手の身分に関係なく治療できるものとしたようです。

一方で、特に御抱医者の場合、僧籍を兼ねることで、より高い身分をめざすという意味合いもあったようです。頭は剃髪または束髪で、儒者や茶人の礼服(十徳)を着用、往診には薬箱を持参しました。(鈴木昶『江戸の医療風俗事典』東京堂出版、他)

 

高価な薬ゆえに

 薬は薬種問屋で煎じ薬、貼り薬、塗り薬、薬草などを扱っていました。売薬は高かったので、庶民の間では生薬や民間療法が試されたりしました。

梅香の母親に飲ませなければならない高麗人参は、労咳などの大病に効く薬とされましたが、非常に高価なものでした。親指の大きさで1両だったとか。

原産地は中国の遼東から朝鮮半島で、中国東北部からロシア沿海州にかけて自生するウコギ科の多年草です。ニンジンというと、カレーやシチュウなどに入れて食べるニンジンを思い浮かべますが、野菜のニンジンはセリ科で、全く別の種類です。高麗人参は根は白く、葉も掌状をしていますから、外観も違っています。いまはセリ科のニンジンの方が一般的になったため、高麗人参、あるいは朝鮮人参と明記されるようになりました。

日本に渡来したのは享保の初期といわれ、幕府が各藩に種子を与えて栽培を奨励したことから御種人参(オタネニンジン)とも呼ばれています。

江戸時代は大変高価な生薬だったため、歌留多に「人参飲んで首括る」とあり、人参を飲んで病気は治ったがその薬代のために首を括ることになったのだ、と前後のことを考えないで事を行なうことを戒めました。

この作品では、弥太の恋人、梅香の母親の病気治療に必要な高麗人参の費用が何と10両。その金ほしさに、弥太は義光の身代わりとして雇われることになるのです。他の時代劇映画でも、病身の親に人参を飲ませるために身売りをしたり、高麗人参は物語の導入部分で、結構、重要な役割を担っています。

 

 橋蔵さんが2役で画面いっぱいに大暴れ。ファンとしては2通りの橋蔵さんの魅力を楽しめる嬉しい作品です。

 

 

(文責・古里奈 2014329