「幕末残酷物語」
「幕末残酷物語」
(1964・12・12 東映京都作品)
脚本・国広威雄
監督・加藤 泰
<配 役>
江波 三郎 …大川 橋蔵
沖田 総司 …河原崎長一郎
さ と …藤 純子
近藤 勇 …中村 竹弥
土方 歳三 …西村 晃
山崎 蒸 …内田 良平
河品 隆介 …木村 功
山南 敬助 …大友柳太朗
ものがたり
一番隊長沖田総司に頼み込んで憧れの新選組に入った江波三郎は、組の厳しい掟と訓練に縛られながら不慣れな生活を始めた。
池田屋騒動以来、非常体制を敷いた新選組だが、ある日、監察部山崎蒸に、新入隊士5人の中に坂本龍馬、中岡慎太郎に内通している者がいる、と詰問された。
密通者相原の処刑役は江波に決まった。意外な成り行きに血の気の失せる江波・・・急所をはずれ、処刑は無残なものとなった。
近藤から命令されれば誰でも首を斬らねばならぬ、と言われた江波は自ら首斬り役を買って出て、隊のため局長のために尽くすようになった。
そんな江波を沖田やさとは意外な面持ちで見つめていた・・・
各地で「加藤泰生誕100年」
2016年は加藤泰監督生誕100年ということで、各地で「加藤泰特集」が企画され、多くの作品が上映されました。こうした中で、東京・京橋のフィルムセンターでは『緋ざくら大名』(58・1)、『紅顔の密使』(59・6)、『大江戸の侠児』(60・2)、『炎の城』(60・10)、『風の武士』(64・1)、『幕末残酷物語』(64・12)の6本の橋蔵さん作品が採り上げられました。
次いで京都文化博物館での日本映像学会関西支部ゼミナールでも「加藤泰特集」が組まれ、『大江戸の侠児』と『幕末残酷物語』が、続く大阪・九条のシネ・ヌーヴォでは『炎の城』、『風の武士』、『幕末残酷物語』が企画されています。
このように各地で開催された「加藤泰特集」では、必ずと言っていいほど、『幕末残酷物語』が採り上げられているのです。
作品とファンの思い
この『幕末残酷物語』は橋蔵さんの映画出演100作品目を記念して製作されました。映画はモノクロ。橋蔵さん自身が映画への意気込みを語られていると同時に、「ローアングル」、「長回し」が特徴とされる加藤監督の個性が十二分に発揮された映像テクニックで表現された作品となっています。ロケ地を探すとき、必ずしゃがんで見てしまう、という監督の言葉から「ローアングル」と評されていますが、カメラは上下左右、遠近、回転、自由自在で、躍動感あふれる映像の連続です。今まで、芝居中継のように水平でしか映さなかったカメラに革命を起こしました。
素顔が一番美しい、という監督の持論から、出演者は全てノーメイク。橋蔵さんもすっぴんでの登場です。また、内容も今までの新選組物語にない視点で描かれたことも、大きな反響を呼びました。
こうした世間の評価はともかく、橋蔵さんのファンからすれば、よくもまあ、橋蔵さんをこんなに汚くした。絶対に見たくない作品、ということになるのですが、当時の映画製作の傾向と、作り出された橋蔵さん像とファンのイメージについて、作品を通じて見ていきたいと思います。
「残酷もの」ブーム
映画界は黒沢明監督が『椿三十郎』で時代劇に新風を起こして以来、リアルと言われる作品が多く作られるようになり、それが激しさを増していき、いわゆる「残酷もの」ブームへと繋がっていきました。ヒーローが颯爽と悪人ばらをやっつける勧善懲悪の物語は子供だましの娯楽時代劇と片付けられるようになったのです。
芸術性のある映画は社会性や真実を描き出すリアルな描写がよしとされ、社会に潜む悪や人間の持つ醜さなどを内部からメスでえぐり出すようになっていきました。映像もよりどぎつく、醜い場面もより細部まで強調されて描かれるようになりました。
この『幕末残酷物語』もそうした「残酷もの」といわれる作品のひとつです。それだけに私も最初は画面を正視して見ることができず、ほとんど顔を背けていました。何回か繰り返し見て、ようやくまともに画面を見られるようになり、作品の意図することが少しずつ分かってきたような気がします。
ほのかな恋心
映画は池田屋事件で勤皇派の志士を制圧した後、返り血を浴びた近藤勇の大写しの顔と、新選組隊士らが整列して、周囲をうかがっている場面から始まります。新選組が主人公ならば、一番格好良く取り上げられる事件が池田屋騒動。その様子を人ごみの中から覗いている橋蔵さんの江波三郎。田舎から出てきた素朴な若者といった風情です。
そんな新選組には似つかわしくない江波が入隊を希望。竹刀とは違って、打たれたら死ぬかもしれない木刀での勝ち抜き採用試合で、次々と頭や首を打ち砕かれ倒れていく志願浪人の凄惨な姿・・・驚愕し耐えられなくなり、庭で吐いて、隊士に笑われる江波。
それでも何とか入隊を果たした江波は、新選組での新たな生活を始めます。剣術の稽古のたびに担がれてくる江波をかいがいしく介抱するさと。ふたりの間に仄かな恋心が芽生えていきます。「荒れていますやろ」と手の荒れを嘆くさとに、「自分も同じ」と両手を広げてみせる江波。過激な場面が多い中で、ほのぼのと一息つける瞬間。この手について語る場面は最後の伏線となっています。
首斬り役を買って出る
入ってみると、江波を待っていたのは、新選組の厳しい戒律と罰則でした。「局中法度書」を破った者は問答無用で弁解も許されず、即斬首という徹底ぶり。
これまで新選組を主人公にした物語は、滅びゆく幕府に殉じた集団としての悲劇性が美化されて描き出されるのが一般的でした。この『幕末残酷物語』では「粛清をすることで集団を維持する人間の狂気」が描かれていきます。普通の新選組物語にはない視点です。
ある日、江波は密通者の処刑を命じられます。処刑は急所を外れ、無残なものとなりました。その日から、江波に変化が・・・進んで、首斬り役を買って出るようになるのです。その江波の姿を物陰から不安げに見るさと・・・逆に江波は近藤勇の信頼を得ていきます。
掟を破れば処刑、新選組をやめるといえばやはり殺される。のどかな田園風景の中にありながら、新選組の狭い屯所に入ったら最後、生きては出られない現実。死と隣り合わせに暮らす限られた空間の中で、粛清という手段で、集団を取り仕切っていく恐怖支配。異常な狂気に震えを感じます。
しかも映画の舞台は終始屯所内でのできごと。暗く重い描写が続きます。それだけに藤純子さんのさとの可憐さが一条の安らぎを感じさせます。
わずかに届かぬ手と手
首斬り役を買って出ることで、次第に近藤の信頼を得ていく江波。出陣を迎えたある日、彼を知っている者が現われ、江波の正体が明るみに出るのです。何と江波は初代隊長の芹沢鴨の甥!! 権力を得るために芹沢をだまし討ちにした近藤らに恨みを晴らすために、新選組に潜り込んでいたのです。
近藤に立ち向かおうとする江波。しかし多勢に追い詰められ、傷ついていきます。江波を案じるさと。母屋内を走りながら窓越しに江波の姿を追い求めます。外では江波の前に立ちはだかった沖田に、「斬れ!」との至上命令が・・・次の瞬間、沖田の剣が振り下ろされて・・・窓から差し伸べるさとの手に、江波の手があとわずかで届きそうなところで、江波は崩れ落ちてしまうのです。手と手の拡大描写。のちの加藤作品でたびたび用いられるモチーフとなっていきます。
何事もなかったように、新選組の隊列が屯所を出て行く姿を映し出して幕となります。
違和感覚える最後
新選組を全く別の視点でとらえた『幕末残酷物語』は傑作であることは間違いないでしょう。しかし、最後に江波が芹沢の甥で、仇を討つために新選組に潜り込んでいた、という設定には違和感を覚えます。冒頭の純朴さは敵を欺くための演技だったというのでしょうか。確かに入隊前の屯所内を窺うそぶりや邸内を偵察するような動きに、それらしきものを感じさせますが、最後の戦いの場面で簡単に斬られてしまうのは合点がいかなくなります。仇討ちを志しているなら、多少は剣術の稽古をしていそうなものだからです。最初の頃の無垢で素朴な若者・江波の姿が好ましく思えるだけに、設定の安易さを残念に思います。それよりも、恋人さとの危難を救うために、制裁を受けてしまう、といった方が自然で、より残酷性が際立ったのではないか、という気がするのですが・・・
江波が芹沢の甥、というような設定は橋蔵さん作品の多くに見られるものです。『清水港に来た男』や『若さまやくざ』をはじめ、身はやつしていても、実は、という役柄が実に多いのです。橋蔵さんの持つ気品と美しさを最大の武器として売り出そうとした会社側の思惑が当たり、人気が出たことで、いつまでも橋蔵さん=若さま役のイメージにとらわれていた東映の企画力が、橋蔵さんの役柄の枠を狭めていったのではないかとも思えてなりません。
至難の業の汚れ役
この時期の橋蔵さんの出演作全てに言えることですが、橋蔵さんはリアルという名のもとに、汚くなることに懸命だったように思います。汚れ役に徹しようと努力すればするほど、綺麗な颯爽とした橋蔵さんが顔を出すのです。『大喧嘩』の普通の青年だった秀次郎も3年経って帰ってきたら、誰にも負けない格好よく強い旅鴉になっています。『いれずみ半太郎』の半太郎も博奕場の借金を踏み倒して、逃げてからやはり3年、押しも押されない博奕打ちに変容しています。『幕末残酷物語』の江波でさえ、中盤、『幕末の動乱』の勤皇の志士に通じる颯爽とした隊士ぶりをのぞかせます。
美しく気品があって強い橋蔵さんが汚くなることは至難の業だったように思います。普通の人ならそのまま地でいけばすむものを、橋蔵さんの場合、努力しなければ汚くなれないのですから。
橋蔵さんが演じる多くの美しく気品があり、強い主人公は女性にとって理想の男性像、憧れです。
『幕末残酷物語』は新選組を全く別の視点でとらえた点、画期的な映像表現が駆使された点で傑作です。しかし、時代がそうさせたとはいえ、それほどまでに血みどろにしなくてもよかったのではないかという気がします。死を暗示させる象徴的な表現方法はいくらでもあるように思えるからです。
一方で、橋蔵さんでもこれだけ汚くなれるということと、映し方次第でどのようにも変化する映像の果てしない広がりと可能性を感じた作品であったことも事実です。
(文責・古狸奈 2016・9・25)
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