「若さま侍捕物手帖 前編 地獄の皿屋敷」

「若さま侍捕物手帖 後編 べらんめえ活人剣」

 

 

「若さま侍捕物手帖

  前編 地獄の皿屋敷

  後編 べらんめえ活人剣」

   1956225 東映京都作品)

 

  原作・城 昌幸 

  脚色・村松道平/西条照太郎

 監督・深田金之助

 

  <配 役>

   若さま侍  …大川 橋蔵

   お い と …星 美智子

   遠州屋小吉 …星  十郎

   と ん 平 …横山エンタツ

   山岡隆之助 …東宮 秀樹

   山岡小百合 …長谷川裕見子

   お あ い …円山 栄子

   豊 五 郎 …原  健策

    横川出羽守 …加賀 邦男

ものがたり

 質屋布袋屋は二晩続けて賊に襲われたが、何も取られていないという。遠州屋小吉の注進で、若さまが事件解決に乗り出したところ、どうやら賊が狙っているのは山岡家に伝わる将軍家拝領の呉須の皿らしい。主人が病に倒れ、金に困った山岡家は皿を質入れしていたのだ。ところが横川出羽守を通じて、将軍家が皿を見たいと所望があり、山岡家が布袋屋に掛け合っているうちに、主人彦兵衛は頓死したという。

 彦兵衛は生きていると睨んだ若さまは森の中の隠れ家をつきとめたが、黒装束の一団に囲まれ、銃口が若さまを狙っている・・・(前編・地獄の皿屋敷)

 危機一髪、宗十郎頭巾に救われた若さま。若さまが事件の核心に迫るなか、今度は船宿「喜仙」のおいとがさらわれてしまう。・・・(後編・べらんめえ活人剣)

 

3作目ではまり役に抜擢

 のちに橋蔵さんの代表作となった「若さま侍捕物帖」シリーズ第1作作品です。前編『地獄の皿屋敷』(52分)、後編『べらんめえ活人剣』(56分)の2部構成で、前後編2本が同時上映されました。

 この時、橋蔵さんはデビューしたばかり。『笛吹若武者』、『旗本退屈男 謎の決闘状』の2作品に出演しただけで、早くも3作目ではまり役ともいうべき若さまに出会ったのでした。

 このことは東映の幹部がいかに橋蔵さんに期待を寄せていたかの表れともいえるでしょう。中村錦之助、東千代之介、伏見扇太郎に次ぐ第4の新人として、売り出しに力を入れていました。そしてまた、橋蔵さんはその期待に応えるように、急速に人気スターのトップへと上っていくのです。

 

嘱望されていた若手女形

 橋蔵さんの映画入りには随分と説得に時間がかかったようです。『笛吹若武者』で銀幕デビューを果たしたものの、1、2本試しに出演するといった具合で、正式に東映と契約したのはこのあとの『おしどり囃子』から。東映側では「絶対に成功させる」と口説いたようですが、橋蔵さんはなかなか映画入りの決心をつけられずにいたようです。慎重な性格もあったでしょうが、他のスターたちに比べて、将来を嘱望されていた歌舞伎界での立ち位置にあったのではないかと思います。

 

 ご存じのとおり、橋蔵さんは6代目菊五郎の養子として、薫陶を受け、当時すでに若手女形として頭角を現し、将来を期待されていました。無理に映画に行かなくても、歌舞伎界で十分活躍の場はありそうでした。

 現代でもそうですが、歌舞伎は親から子へ芸と名跡が引き継がれる慣例がのこされています。子供のころから歌舞伎の空気の中で育ち、団十郎の子は団十郎に、菊五郎の子は菊五郎に、と殆ど例外なく引き継がれていくのです。よくしたもので、若手のころは素質がなさそうにみえても、舞台の場数を踏むうちに立派な歌舞伎役者に大成していきます。

 逆に梨園の名門に生まれず、後盾のないものは一生大部屋俳優に甘んじなければなりません。戦前の映画スターの多くはそうした実力がありながらも役に恵まれない立場の役者さんたちでした。

 

 戦後、梨園の名門の出で、映画に移った俳優の中でも、橋蔵さんの立場は最高の位置にありました。尾上菊五郎という最高の名跡に一番近いところにいたのです。

 しかし、養父6代目が1949年(昭和24710日、帰らぬ人となり、橋蔵さんは強力な後盾を失ってしまったのです。6代目亡き後の菊五郎劇団で橋蔵さんは、女形として7代目尾上梅幸、7代目中村福助(のち芝翫)に次ぐ地位にいましたが、絶対的な後盾を失った痛手は大きいものだったと思います。東映のマキノ光雄製作部長の説得や市川雷蔵さんの勧めもあって、映画入りを決心したと伝えられています。

 

橋蔵若さま登場

 ところで、城昌幸原作の「若さま侍捕物帖」は橋蔵さんの若さま以前に、井上梅次脚本、中川信夫監督、黒川弥太郎さんの若さま、香川京子さんのおいとで、『謎の能面屋敷』(1950)、『呪いの人形師』(1951)が、また関西歌舞伎の坂東鶴之助さんの若さま、嵯峨美智子さんのおいとで、『江戸姿一番手柄』(1953 青柳信雄監督)、『恐怖の折鶴』(1953 並木鏡太郎監督)がいずれも新東宝で製作されています。

 黒川弥太郎さんの『謎の能面屋敷』では若さまは堀田左馬介という素性が明かされおり、坂東鶴之助さんの『江戸姿一番手柄』では若さまと歌舞伎役者の2役を演じているのが特徴でしょう。

 このように何人かのスターが演じた若さまでしたが、橋蔵さんの若さまが登場すると、若さま=橋蔵さんとなり、人気シリーズとして次々製作されていくようになったのです。

 

初期作品にみるアイドル橋蔵さん

 初期の「若さま侍」は深田金之助監督、橋蔵さんの若さま、星美智子さんのおいと、星十郎さんの遠州屋小吉のレギュラーで、『地獄の皿屋敷』、『べらんめえ活人剣』、『魔の死美人屋敷』、『深夜の死美人』の4本が製作されています。(『鮮血の晴着』は小沢茂弘監督)

 『鮮血の人魚』も深田金之助監督作品ですが、カラー作品で、舞台も江戸から離れているので、ここではとりあげませんが、前述の4作品はすべてモノクロで、「花の大江戸八百八町 おいら天下の若さまだ」の軽快なメロディーではじまる明るく楽しい捕物絵巻となっています。おいとが若さまに寄せる思いを挿入歌に合わせて演じる場面も定型化していますが、安心して見られます。

いずれも捕物の謎解きよりは若さまの活躍に重点が置かれています。橋蔵さんはまだ演技も立ち回りもおぼつかないのですが、ときどきハッとするような美しさが画面いっぱいに映し出され、アイドル橋蔵さんの魅力が満載です。

 

橋蔵さんは努力の人

橋蔵さんは立ち回りが好きだと語り、暇をみつけては、剣会のメンバーと一緒に殺陣の練習をしていたことが当時の雑誌などに書かれています。市川右太衛門さんのセットを見学して、早く豪快な立ち回りができるようになりたい、とも書いています。

橋蔵さんは努力の人なのだと、心底思います。天才型ではないけれど、日々努力して着実に進歩していく。1作ずつ、少しずつ努力を重ね、気がついたら、いつの間にか、華麗な立ち回りと、演技をものにしています。同じ「若さま」でも初期の作品と後期では歴然とした差があることは誰の目にも明らかでしょう。

 

橋蔵さんの若さまは他に考えられないほどの適役でした。甘さと気品、橋蔵さんのキャラクターが存分に生かされた最高の主人公でした。その後、橋蔵さんの出演作品はたとえ身なりが町人ややくざであっても、もともとは高貴な家の出という役回りがしばらく続くことになるのです。

 

 

(文責・古狸奈 201572