「御金蔵破り」

 

「御金蔵破り」

    1964813 東映京都作品)

  原案・高岩 肇 

  脚本・野上龍雄/石井輝男

  監督・石井輝男

 

  <配 役>

   半   次 …大川 橋蔵

   煙りの富蔵 …片岡千恵蔵

   お こ う …朝丘 雪路

   勘 兵 衛 …丹波 哲郎

               神谷 帯刀 …杉浦 直樹

ものがたり

 伝馬町の牢内で、向うっ気の強い緋牡丹半次に、自分の若い頃を見た煙りの富蔵は新入りの半次に不思議な愛情を抱くようになった。

 半次はもともと旗本だった。百俵十人扶持の貧しい家禄のために、権力にこびなければならない侍稼業に嫌気がさし、市井に飛び込んだのだった。同僚の帯刀は筆頭与力に取り入り、将来を約されていた。

 釈放された富蔵は半次に御金蔵破りを持ちかけるのだった・・・

 

芝居化された御金蔵破り

 安政2年(1855)3月6日、藤岡藤十郎と野州無宿富蔵とが共謀、江戸城本丸の御金蔵に忍び込み、4000両を盗み出した事件は、黒船到来後の政情不安、安政3年の大地震と共に当時の人々の間に一大センセーションを巻き起こしました。首謀者の藤岡藤十郎は安政4226日、逮捕され、513日、千住小塚原で磔刑に処せられました。

 河竹黙阿弥は早速、この事件をもとに同6年、『花街模様薊色縫(十六夜清心)』を著していますが、このときは幕府を憚って、実名は使わず暗示しただけにとどまっています。

 その後、明治18年(1885)、柳葉亭繁彦が小説『千代田城噂白浪』を著し、黙阿弥は今度は実名で『四千両小判梅葉』を発表しました。

 大地震に乗じた材木の買付けで大もうけしたと称し、藤十郎が貸付所を経営する様子などが描かれています。(『朝日日本歴史人物事典』、講談社『日本人名大辞典』)

 

度肝を抜いてやろう

 権力にこびなければならない侍稼業を棄てた、旗本くずれの緋牡丹の半次と、長年、江戸城内の御金蔵破りを夢見ている、老盗の煙りの富蔵。「権力を笠にきる人々の度肝を抜いてやろう」という共通の思いを持つ2人がコンビを組み、御金蔵破りを企てます。

 しかし、目指す御金蔵は警護も厳しい江戸城の中。それでも2人は着々と準備を進めていきます。城中に忍び込むには、大奥女中の手引きが必要と、まずは将軍お手つきの中臈おこうを篭絡する作戦に出るのです。おこうが歌舞伎役者と密会している現場を押さえ、弱みを掴んで逃れなくさせた後、力と色で自分になびかせる半次。愛情もないのに、目的のために女をたらしこむ不埒な男は今までの橋蔵さんにはなかった役どころです。

 メイクも白塗りの美男ではなく、色の浅黒い目つきの鋭い、野性味を帯びた顔立ち。良くも悪くも、当時のリアリズムを良しとした映画製作の傾向がメイクにも見られるのですが、この作品に限って言えば、目バリもなければ、眉も整えない、自然なあるがままの橋蔵さんの半次には凄みさえ漂います。

 しかし、美しい橋蔵さんを見たい女性ファンからはそっぽを向かれ、興行的には成功とはいえなかったようです。

 

用意周到な知能犯

 2人の盗賊が御金蔵を破る目的のために、用意周到に準備を進める面白さ。

まずは城内の手引きと絵図面を得るための奥女中の人選。白羽の矢が立てられたのは、今は将軍にかえりみられない元は花火問屋玉屋の娘で中臈のおこう。色と脅しで城内の詳細を聞き出す手管。決行日は81日。その夜、江戸開幕の祝宴が催され、花火で音がかき消されるのが好都合。打ち上げ花火の順序まで調べ上げ、最後の花火が上がったら途中でも終了する。金持ちのご隠居になりすまし、城内から運び出すおわい舟の手配。千両箱は下肥桶に隠して・・・実に知能犯なのです。

 千両箱をリフトのように縄でくくり、ロープを引っ張って内堀を渡す場面は見ていてハラハラさせられますが、それでいて滑稽さが漂います。重いはずの千両箱が軽々と移動していくのですから。このあたりはご愛嬌というところでしょう。

盗んだ金はしめて3万2000両。4000両を残すだけでした。映画は史実の8倍。

追っ手を逃れた千両箱入りの下肥舟は途中で座礁して、結局は津田沼沖で沈んでしまいます。しかし、2人は難問をやりとげた達成感で気分は晴れ晴れ。

海底に沈んでいく千両箱とこぼれ落ちていく小判。蛸が小判の上を這って、思わず笑いたくなるような場面で終ります。

 

現代にも通じる人物像

御金蔵を破るのは金がほしいわけでなく、誰もやらなかった大それたことをしてみたい富蔵。命がけのことをやることで、生まれ変わることができるかもしれないと、泰平の世に自分の生きがいを犯罪に求めようとする半次。上様に顧みられなくなったおこうのプライドと寂寥感・・・それぞれの思いがとてつもない犯罪に加担させるのです。

富蔵を捕えることに執念を燃やす目明しの勘兵衛や、江戸城に上がり、将軍の側室になって出世したいおくめ。富蔵らの上前をはねようとする弥五郎一家。それぞれの登場人物の構成が楽しく、特におくめの現代にも通じる若い娘のちゃっかりぶりが愉快です。50年経った現在でも色あせていないように思います。

 

史実に想像を肉付けする時代劇

時代劇は実際にあった史実を時代考証をし忠実に再現しながら、それに想像を膨らませ面白く肉付けされ構成されているものです。

導入部分のおこうと歌舞伎役者との密会も、江戸時代中頃に起きた「江島生島」事件を思い起こされる方も多いことでしょう。

7代将軍家継に仕える御年寄江島が家宣の墓参りに寛永寺と増上寺を回った後、木挽町の木村座近くで、歌舞伎役者の生島新五郎を相手に宴会が催されました。そのため帰城が遅れ、関係者1400名が処罰される事件へと発展してしまったのです。結局は、時の勢力争いと綱紀粛正のあおりを受けたわけですが、江島は信州高遠藩にお預け、生島は三宅島に遠島となりました。これが「江島生島」事件で、のちに大奥女中と歌舞伎役者の恋物語として、ドラマ化され、映画化されるようになりました。

また花火問屋の玉屋は天保14年(1843)、失火のため江戸払いとなっており、御金蔵の破られた安政2年(1855)には存在していません。とはいえ、花火師といえば玉屋の方が通りがよく、打ち上げられる花火も当時は流星と呼ばれる弧を描くだけの花火よりは、明治7年、10代目鍵屋によって開発された大輪の花火の方がより効果的なことは明らかでしょう。花火で城内の白壁の色が変わる照明や、矢継ぎ早に打ち上げられる大輪の花火が緊迫感をより効果的にあらわしています。

映画全篇に流れる音楽も当時の時代劇にはモダンで、革新的なものでした。

 

私の個人的な好みでいえば、この作品は好きな部類に入り、秀作だと思っています。しかし、当時、一般的な評価はそれほどでもなかったように思います。

それは橋蔵さんのプライベートな面に興味が注がれてしまったためでした。

この『御金蔵破り』が製作された頃、橋蔵さんの結婚話があれこれ取沙汰されていました。天下の二枚目のお相手は共演者の朝丘雪路さんと噂され、芸能雑誌や週刊誌はふたりの恋の行方を興味津々で報じていたのです。

いきおいこの『御金蔵破り』は映画の質や面白さよりも、スターの私生活をあばく関心の方に重きが置かれ、作品の中身がないがしろにされているようで、残念に思われてなりません。

 

 

(文責・古狸奈 2014620