「橋蔵のやくざ判官」
「やくざ判官」
(1962・7・13 東映京都作品)
脚本・小国英雄/マキノ雅弘
監督・マキノ雅弘
<配 役>
文 吉 ・・・大川 橋蔵
小 富 ・・・丘 さとみ
篠崎源左衛門・・・宇佐美淳也
お 京 ・・・北沢 典子
人形師銀山 ・・・堺 駿二
松下 源造 ・・・沢村宗之助
飾屋太三郎 ・・・徳大寺 伸
家主勘兵衛 ・・・多々良 純
原 六之進 ・・・水島道太郎
横山 采女 ・・・沢村 訥升
居酒屋亭主 ・・・進藤英太郎
ものがたり
本所横網の勘兵衛長屋には浪人篠崎源左衛門とお京の父娘、人形師銀山とおこんの夫婦、羽織芸者小富と母親、居合い抜きの松下源造夫婦、飾職人太三郎、傘屋夫婦、駕籠屋八助と六助、浪人横山采女が住んでいるが、最近になって赤とんぼの文吉という新顔が加わった。小富は文吉に首ったけだが、顔を見れば喧嘩ばかり・・・
ある夜、金貸しで家主の勘兵衛が殺された。
目明しの八五郎は、あこぎな勘兵衛に腹を立て、殺してかんかん能を踊らせてやる、と言っていた文吉が怪しいと目をつけたが・・・
長屋の住人全てが勘兵衛に恨みを抱いている者ばかりとあって・・・
軽妙な笑いと謎解きの面白さ
ダシール・ハメットの探偵小説『影なき男』を小国英雄氏が脚色、マキノ正博(雅弘)監督で、1941年の正月作品『昨日消えた男』として発表されました。出演は長谷川一夫、徳川夢声、高峰秀子、山田五十鈴さんで、その年の12月には真珠湾攻撃が勃発していますから、開戦前最後の明朗時代劇といえるものでした。
この『やくざ判官』は前記作品が同じ小国、マキノ雅弘コンビでリメイクされたものです。橋蔵さんの文吉と丘さとみさんの小富との掛け合いが楽しく、憂さを忘れさせてくれます。
おまけに愉快な長屋の住人が野次馬振りを発揮して、やたら路地に出てきておしゃべりをしますから、そのにぎやかなこと。堺駿二さんと小桜葉子さんの人形師の夫婦や、駕篭かき、進藤英太郎さんの居酒屋亭主などが笑いと物語の進行係をつとめてくれています。
舞台のような映像表現
映し出される場面は、長屋の路地や居酒屋など限られた数ヵ所。回り舞台や障子の開け閉めで、場を構成していけばそのまま芝居として使えそうで、映画というより舞台を観ているよう。
長屋の路地に登場人物全員が揃うことも多く、カメラはそれらの住人の動きを全体的にとらえて、ゆっくり追っていきます。その手法がより舞台を観ているような印象を与えます。
それだけに、ひとつの画面に大勢の登場人物が映し出されるため、小さなテレビの画面では魅力が半減、ぜひとも家庭のビデオではなく、映画館のスクリーンで見てほしい作品です。
片肌脱がない遠山もの
物語は天保10年、本所横網の長屋を舞台に、大塩平八郎の乱を背景とした高利貸殺人事件に仕立てられています。
家主の勘兵衛が殺された・・・長屋の住人全てが勘兵衛を恨んでいて、誰しもが犯人でもおかしくない人物設定。怪しげな人物が次々現われ、おまけに身代わりに罪を被ろうと、投げ入れられるかんざし・・・とさらに複雑になる事件。そうした中での謎解きの面白さ。
最後は一番怪しいとされた赤とんぼの文吉が、実は南町奉行の遠山金四郎という、いわゆる「遠山もの」。しかし、この作品では通常、定番ともいえる金さんがお白洲で、犯人一味に片肌脱いで刺青を見せることはありません。淡々と謎解きが進められていきます。
刺青を見せるのは捕り方に追われての立ち回りのときだけ。捕り方の六尺棒を軽快に操っての立ち回り。桜の刺青も軽やかです。お裁きでの橋蔵さんの金四郎は歴代の金さんに比べて、癖がなく実に爽やか。気品溢れる奉行ぶりです。
結局、事件の決着は大塩平八郎一味の残党の仲間割れが引き起こした事件だったのですが・・・
名与力で儒学者、大塩平八郎
遠山金四郎については『はやぶさ奉行』で触れていますので、今回は大塩平八郎について書くことにしましょう。
大塩平八郎(1793―1837)は江戸後期の儒学者で、大坂東町奉行所与力。名は正高、号は連斎、中軒のち中斎。
寛政5年(1793)1月22日、父敬高、母大西氏の子として生まれました。幼くして父母を失い、祖父母に育てられ、文化3年(1806)から出仕、天保元年(1830)、38歳で退職するまで名与力として名を馳せました。
一方、学問にも励み、陽明学は独学で修めたようで、頼山陽は平八郎を「小陽明」と高く評価しています。
高井山城守実徳の信任あつく、よく仕えましたが、高井が転任すると、平八郎は退職隠居、その後は自宅内の私塾「洗心洞」で、学問と指導に励みました。著書に『古本大学刮目』、『洗心洞剳記』、『儒門空虚聚語』などがあります。
蔵書5万冊を救済資金に
天保7年(1836)、天保の大飢饉が起こり、大塩平八郎は幕府に民衆の救済を提言しましたが拒否され、しかも、大坂町奉行跡部良弼(老中水野忠邦実弟)は大坂の窮状を顧みず、大坂に送られてくるはずの米を将軍家慶就任の儀式用に江戸へ廻送したため、怒り爆発。
自らの蔵書5万冊を売り、救済資金としました。このときの本の売り上げは620両余になったといわれています。一方で近在の農民に挙兵の檄文を撒いたのです。
天保8年(1837)2月19日、大塩平八郎は門人らと決起しました。
これが大塩平八郎の乱ですが、決起当日、内部離反者が出たため、たった1日で鎮圧され失敗。平八郎は40日余り、潜伏しましたが、通報され、火薬を使って自決しました。享年44。遺体は顔もわからないくらいだったので、その後、生存説や逃亡説が流れることとなりました。
4月に備後三原、6月に越後柏崎、7月に摂津能勢で、挙兵呼応の動きが続き、絶対的な権力を持っていた幕府に大塩平八郎が反乱を起こしたことで、その後、幕府倒幕の機運が起こり、平八郎の乱30年後には徳川幕府は滅びることになるのです。(朝日日本歴史人物事典ほか)
この平八郎の乱で、大坂の町は火の海。多くの町人は焼け出されてしまいましたが、誰一人、平八郎のことを悪く言う者はいなかったとか。この『やくざ判官』では幕府側の立場を取っていますから、犯人は悪党一味の残党として扱われています。
(文責・古狸奈 2014・9・24)
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