「大喧嘩」

 

「大喧嘩」

    196495 東映京都作品)

  脚本・村尾 昭/鈴木則文/中島貞夫

  監督・山下耕作

 

  <配 役>

   榛名の秀次郎 …大川 橋蔵

 浅井の伊之助 …穂高  稔

 並木の芳太郎 …河原崎長一郎

 お か よ  …十朱 幸代

 お ゆ き  …入江 若葉

 勝場の藤兵衛 …加藤  嘉

 松井田の多助 …西村  晃

                三鬼剛太郎  …丹波 哲郎

ものがたり

 浅間の噴煙をのぞむ小田井宿は勝場一家のものだった。笹島一家の再三の横車に業をにやした勝場一家は喧嘩状を叩き付け、敵方の親分を叩き斬った榛名の秀次郎は行末を誓い合った藤兵衛の一人娘おかよに別れを告げて旅に出た。

 それから3年、秀次郎が小田井宿に戻ってみると、宿場の様子はすっかり変わっていた。

 

刺激を受け山下監督に

 この作品は橋蔵さんが『関の弥太ッぺ』に刺激を受け、山下監督に依頼したとされる作品です。『関の弥太ッぺ』は63年、長谷川伸原作、山下耕作監督、中村錦之助主演で映画化され、好評を博しました。

山下監督は1930年、鹿児島県生まれ。内出好吉、小沢茂弘、内田吐夢監督などのもとで助監督を長年務め、『若殿千両肌』で監督デビューしました。『関の弥太ッぺ』で監督として注目されましたが、時代劇は斜陽となっていたため、その後は、任侠ものでその力量を発揮しました。『兄弟仁義』、『日本侠客伝』、『昭和残侠伝』などを演出。主題歌が流れるなか、主人公が殴り込みに向かうパターンを格調高く、甘美に演出しました。若山富三郎さんの『極道』、藤純子さんの『緋牡丹博徒』などのシリーズも手がけています。その後、『山口組三代目』などの実録路線にも取り組んでいます。

この『大喧嘩』は村尾昭、鈴木則文、中島貞夫の3氏が脚色、『弥太ッぺ』に影響を受けたとみられる場面が随所に見られますが、まったくのオリジナル作品です。十朱幸代さんが『関の弥太ッぺ』に続いて、おかよ役で出演。丹波哲郎さんがめっぽう強い浪人役で登場しています。

 

3年後、帰ってみると

 映画が始まるとすぐ、勝場一家の親分、子分の固めの儀式が描き出されます。酒の満たされた盃の中に指を傷つけて血を垂らし、盃を交換して飲み交わすのです。実際にこのような形で儀式が執り行われていたのかわかりませんが、興味深い場面です。

 加藤嘉さん演じる親分勝場の藤兵衛。子分は橋蔵さんの秀次郎と穂高さんの伊之助。まだ農家の若い衆の橋蔵さんはおどおどした面持ちで怖々盃を飲み干します。

 勝場一家と笹島一家の果し合いが始まり、秀次郎がむしゃらに突き進んで刺した相手が笹島一家の親分。秀次郎にしてみれば、それこそ間違えて手柄をあげたことになるのですが、結局、ほとぼりの冷めるまで3年の草鞋を履くことに・・・このあたりの秀次郎は特別取り柄もなさそうな普通の青年です。

 そして、3年後、颯爽とした秀次郎となって帰ってくるのです。しかし、帰ってみると、行く末を誓い合っていたおかよは伊之助の女房になっていた・・・秀次郎とおかよとの恋の成り行きがまず第1のテーマです。

 

牧歌的な詩情生む水車小屋

 水車小屋が牧歌的な詩情を生み出しています。物語の舞台は絹の産地の小田井宿。縁側でおかよが紡ぐ糸車と田園風景を背に水車の回転する動き。現実と思い出を交差させます。特に水車小屋は秀次郎とおかよの恋人どうしの別れ、夕立にあって小屋に逃げ込んだ伊之助とおかよに、伊之助がおかよへの思いを告げる場面など、決定的なところでよく使われます。『くれない権八』でも権八が誤って仇となってしまったことを知り、大川恵子さんの比呂恵に討たれようとする場面も水車小屋の中でした。殺伐としたやくざ同士の対立場面の多い中で、水車小屋の風景はほっとした安らぎを与えてくれます。

 

義理立てして諦める恋

 おかよが伊之助の女房になっていることを知り、悩む秀次郎。しかし伊之助がおかよを助けようとして殺されてしまってから、逆に伊之助に義理立てしておかよを諦めようとします。大喧嘩のあと、ひっそりと旅に出るのですが・・・

 この最後の結末がどうにも解せないのです。親も夫も失ってしまったおかよにしてみれば秀次郎が唯一頼れる相手のはず。それなのにおかよを置いて、旅にでなければならないのかと・・・男の美学だといえばそれまでですが、必然性が感じられないのです。『関の弥太ッぺ』の場合は飯岡の助五郎一家との対決が待ち構えていました。別れに必然性があったのです。しかし、秀次郎の場合は伊之助への義理立て。おかよの本当の幸せはどうなのだろうかと思ってしまいます。それとも大勢の人を殺めてしまったことから、またほとぼりが冷めるまで旅に出る、ということなのでしょうか。

 

得体のしれない浪人者

 丹波哲郎さんがめっぽう強い浪人、三鬼剛太郎を演じています。得体のしれないこの浪人者はやたらやくざ同士が喧嘩をするよう仕向けるなんとも厄介な代物です。穏便にすませようと調停役の秀次郎の邪魔ばかりするのです。

実は彼は妻をやくざに犯され、死に至らしめた過去を持っていて、そのためやくざ同士を対立させ、お互いが自滅するよう企てていたのですが・・・彼の過去がわかるまで、何とも不気味に描かれていきます。

秀次郎を一人残して全てのやくざが死んだあと、抵抗もせず秀次郎に討たれてしまいます。何という潔さ・・・

日当を多く出す方に味方しようとする西村晃さんの松井田の多助。マスコットの亀に吉凶を占う微笑ましさ。結局どっちつかずの多助は殺されてしまうのですが・・・

 

集団抗争時代劇

ところで、この『大喧嘩』は集団抗争時代劇として注目を浴びている作品です。今まで時代劇の立ち回りは一人の主人公対大勢の敵役というのが普通でした。しかし、『大殺陣』あたりから集団対集団での立ち回りが描かれるようになったのです。それまでスターシステムをとっていた東映が単独のスターだけでは客が呼べなくなったこともあって、複数の主人公との集団対集団の戦いを生み出したといわれています。とはいえ、最後まで生き残るのはトップスターだったようですが・・・

オールスター作品でみられるやくざ同士の果し合い。しかし本当のやくざ同士の殺しあいはもっと凄まじいものだったのではないか、と考え出された抗争場面でした。喧嘩の場面に実に多くの時間がとられています。

やくざの喧嘩に巻き込まれるのを恐れて、村人たちは家に引きこもり、村中が息をひそめています。敵方の人数は自分たちの倍、戦うように見せて、すぐ逃げるように秀次郎たちは走り続けます。大勢に囲まれたら勝目のない相手を振り落としながら、走り続け、途中待ち伏せしている仲間に襲わせる作戦です。

村道や田の中を走っていくうちに、待ち伏せしている味方が敵を襲い、倒していく。しかし味方もやられて、次々と屍が転がっていくという凄まじさ・・・まさしく死闘です。

いつもの華麗な橋蔵さんの立ち回りはこの作品では見られません。とにかく橋蔵さん、走る、走る、走るのです。

勝場一家と笹島一家が相打ちとなり、誰もいなくなったらわがものにしようと企んでいた上州屋仁右衛門一家も三鬼に殺されてしまい、やくざは一掃。最後は決死の覚悟で戦いに挑む秀次郎に、無抵抗で刺されて死んでしまう三鬼。潔いけれど呆気ない気がしないでもありません。

 

秀次郎はおかよを村に残したまま、もう帰ってこないのでしょうか。掛け違えた男女の縁は永遠に戻らないのかもしれませんが、映画の中では夢を見せてほしいものですね。

 

 

(文責・古狸奈 2015525