「風の武士」

「風の武士」

     (1964115 東映京都作品)

  原作・司馬遼太郎 

  脚色・野上龍雄 

  監督・加藤 泰

 

  <配 役>

   名張 信蔵  …大川 橋蔵

 ち   の  …桜町 弘子

   お 勢 以  …久保菜穂子

   お   弓  …中原 早苗

   律      …野際 陽子

   高力伝次郎  …大木  実

    猫      …南原 宏治

   紀州屋徳兵衛 …進藤英太郎

           水野和泉守  …西村  晃

ものがたり

 熊野の山中に千年来、人知れず安羅井という黄金郷があり、途方もない金銀が秘蔵されていることを知った紀州藩は隠密を暗躍させ、探索の手を伸ばしていた。

 一方、老中水野和泉守は町道場練心館主、平間退耕斎の嘆願書をもとに、伊賀忍者の血をひく名張信蔵に秘境をさぐるよう密命した。信蔵が思いを寄せるちのはどうやら安羅井の姫らしい。

 秘境への道筋を記す道中絵巻「丹生津(にぶつ)姫縁起」をめぐって、紀州藩、信蔵、猫、お弓らの死闘がはじまった・・・

 

伝奇小説から愛の物語へ

 司馬遼太郎の原作『風の武士』は、『梟の城』、『上方武士道』に続く3作目の長編で、いずれも初期の伝奇小説の部類に入るものとされています。『風の武士』は「週刊サンケイ」に昭和35328日号から翌年220日号にかけて連載されました。

 原作では主人公の名は柘植信吾、映画では名張信蔵になっています。原作も映画も伊賀忍者の血をひく部屋住みの次男坊の主人公が公儀隠密として、安羅井の里を捜し求めていくのは同じですが、原作では安羅井の里に辿りつき、また巷に戻ったら明治の世になっていて、お勢以のもとに帰るという浦島太郎にも似た、伝奇小説らしい構成になっているのに対して、映画は野上龍雄氏の脚色で、安羅井の秘境を明らかにする伝奇的要素までは踏み込まず、信蔵とちのの愛の物語が前面に押し出されています。安羅井の秘蔵する金銀を追って、紀州と公儀が繰りひろげる凄絶な死闘の合い間に、格調高いロマンが嵌め込まれ、切なく哀愁を帯びたテーマ曲が全篇を潤しています。

 

2枚目半の軽妙な演技

 映画は冒頭、紀州藩の追っ手に次々と殺される安羅井人の血まみれたややショッキングな映像から始まります。

 しかし、タイトルが流れた後は一転、朝寝をむさぼる橋蔵さんの信蔵を野際陽子さんの兄嫁が叩き起こす、ユーモラスな場面へと展開していきます。部屋住みで退屈な日々を送る信蔵を橋蔵さんは2枚目半の軽妙な演技で笑わせます。

 やがてちのと酉の市に出かけ、事件へとかかわっていくことになるのです。

 

凄絶な中にロマンの香り

 物語の前半、信蔵が密命を受けて旅立つまでは、事件の発端から繰りひろげられる血なまぐさい闘いの間に、信蔵とちの、お勢以との描写が安らぎを与えてくれます。清純なちのとの叶わぬ恋の予感、幼馴染で世話女房型のお勢以との切ない別れ、橋蔵さんが出演する作品はどんなに凄絶なアクション映画であっても、哀愁を帯びたロマンの香りの高いものになるようです。

 老中に密命を受けてから、お勢以のもとに届けられた500両の支度金。

「半分、お前にやるよ」と言う信蔵に、「手切れ金のつもり」と言うお勢以。「一度、小判で砂遊びのように遊んでみたかった」、「よし、やろう」と小判の包みを切って、宙に舞わせるふたり。

10両盗めば首が飛ぶ時代、それこそ近松ものの、封印された小判に手をつけた封印切りの罪で、心中にまで追い込まれる男女の世話物狂言などからすれば、小判で遊ぶことはどんなに大それた行為なのか。それだけにより別れの辛さを内に秘め、無心に小判を舞わせるふたりのせつなさが、キラキラと舞う小判のスローモーションで描き出された、次元を超えた美しさの中で迫ってくるのです。

翌朝、霧の中を出立する信蔵、見送るお勢以。ふたりの短い会話が切なさを増し、テーマ曲がさらに情感を高めています。

 

走り回る忍者剣法

後半はちのを囮に安羅井へ向かう紀州藩と高力、それを追う公儀の隠密・猫と猫に差し向けられた信蔵の目付け役、お弓、そして信蔵の三つ巴の戦いが展開していきます。

紀州藩も公儀も安羅井の財宝が目当てと知った信蔵がちのを護る、といって、単独行動に移ったとき、信蔵の前に立ちはだかる高力伝次郎と公儀の隠密・猫。大木実さんの高力と南原宏治さんの猫の存在感が強烈で、全篇を引き締めているのは言うまでもありません。

この作品で橋蔵さんは実によく走ります。岩場で、鬱蒼とした森の中で、走って走って、振り向きざま相手を倒す従来とは違った忍者剣法。円陣に囲まれた刃の中央で、端からバッタバッタと斬り倒すヒーロー型の立ち回りと違って、スピーディで跳んだり跳ねたり迫力ある動きを見せています。

そして、ちのと一夜の契りを交わし、忽然と姿を消したちのを追う信蔵の前に立ちはだかる宿敵・高力。状勢次第で俺は何度でも裏切る、というふてぶてしい高力との対決が最後の山場です。

しかし、高力を討ち果たし、晴れてちのと、と思ったとき、遥か頂に姿を見せていたちのは1通の文と懐剣を残し、信蔵の前から姿を消してしまうのです。「いつまでもいつまでもあなたの妻でございます。あなたのちのは幸せでございます」の言葉を残して・・・

 

心にしみる台詞

忍者ものでありながら恋物語でもある『風の武士』は、登場する4人の女性が実に個性的で魅力的です。

桜町弘子さんの清純さと気品を漂わせる安羅井の姫、ちの。久保菜穂子さんの世話女房型のお勢以。中原早苗さんの信蔵の目付け役として、猫から送られ、こともあろうに信蔵に惚れてしまうお弓。野際陽子さんの信蔵の兄嫁、律。4人がそれぞれ全く違うタイプで、信蔵との関わりを持ち、咲き競うようにドラマを盛り上げています。

また、信蔵と女たちとの会話はどれも余情が溢れています。お勢以との別れの場面で、もっと気の利いた言葉もありそうなものなのに、「悪い男にひっかかるなよ」と何となくピントがずれたような信蔵の台詞が、かえって別れの辛さを強調しています。ちのに「樵になって、1番高い木で自分たちの家を造り・・・」など、心にしみる台詞が多く、高力の嘘に振り回され悩む信蔵とちのの心情など、さりげない中に男と女の本質を見ているように思います。

 

安羅井人はユダヤ人景教徒?

ところで、安羅井人とは一体何者なのでしょうか。

映画では平家の落人となっていますが、原作では遥か昔、流浪の果てにわが国に辿り着いたユダヤ人景教徒たちが熊野に作った国と想定されています。

講談社文庫『風の武士』新装版(2007)の磯貝勝太郎氏の解説によると、景教は古代キリスト教で中国に最初に伝来したネストリウス派のことで、イエスの母マリアを「神の母」と呼ぶことに反対したため追放され、その信徒はローマの支配圏を逃れて東方に逃亡しました。英国人女性で景教研究家、ゴルドン夫人の説によると、古代中国に入った景教徒とは別に、ペルシャからインド、朝鮮を経て日本に上陸した者たちが秦氏と称して、古代キリスト教の遺跡を残しているそうです。

『風の武士』はそうしたゴルドン夫人の説を踏まえて書かれたと見られていますが、もし仮に、山奥に暮していたユダヤ人景教徒の末裔が下山したときに村人に会い、彫りの深い異形の顔立ちに驚いた村人の話から天狗伝説が生まれたとしたら・・・

『風の武士』は古代ロマンへの夢を馳せることのできる作品でもあるのです。

 

 

(文責・古狸奈 20111010