「新吾十番勝負」第1部

 

「新吾十番勝負」第1部

    1959317 東映京都作品)

   原作/脚色・川口松太郎

      (朝日新聞連載、新潮社刊)

  監督・松田定次

 

   <配 役>

    松平頼方、葵新吾…大川 橋蔵

     お長、お鯉の方 …長谷川裕見子

    真崎庄三郎   …岡田 英次

    梅井 多門   …山形  勲

    お   縫   …桜町 弘子

    武田 一真   …月形龍之介

                     徳川 吉宗   …大友柳太朗

ものがたり

 「私は将軍の子だった」・・・その出生ゆえに巻き起こる数奇な運命に立ち向かいながら、ひたすら剣をみがく青年、葵新吾の波瀾万丈の人生・・・

 大名行列の面前をけがした咎で、鯖江藩主、松平頼方の刀にかけられた越前屋半六の娘、お長は番頭庄三郎と共に父の仇、頼方を襲ったが果たせなかった。逆にお長は頼方に愛されるようになり、やがて美女丸が生まれた。しかし、美女丸は、復讐に燃え、今は剣の修行に励む庄三郎に盗まれてしまう。

 18年の歳月が経ち、美女丸は秩父の真崎道場で立派に成長していた。

 ある日、黒田藩士と斬りあいになり、呼び出された黒田藩主の面前で真実が明らかになる。父、松平頼方は今や、徳川吉宗と名乗り、8代将軍となっていた・・・

 第1部は父、吉宗から葵新吾と命名され、親子の対面を心の中では待ちわびながらも、数奇な運命に立ち向かいながら正義を貫き、井上河内守を倒すまで。

 

朝日新聞連載の人気小説

 『新吾十番勝負』は新聞連載が始まると同時に評判となり、すぐに映画化の話が持ち上がりました。原作者の川口松太郎さんは当初、息子の川口浩さんでの映画化を考えていたようです。橋蔵さんは何度か川口氏のもとに出向き、原作を手にして1年後、ようやく実現しました。

その後、新吾を演じた縁で、川口松太郎さんと懇意になり、歌舞伎座などの橋蔵公演では川口さんの脚本による作品が多数上演されるようになりました。

 

徳川吉宗

 8代将軍、徳川吉宗(16841751)は紀州藩第2代藩主、徳川光貞の4男。幼名、源六。のちに新之助、頼方と名乗る。父と2人の兄が相次いで亡くなったあと、22歳で紀州藩第5代藩主となり、藩の財政再建につとめました。

 7代将軍、家継が8歳で亡くなると、宗家の血は途絶え、6代将軍の正室、天英院の指名で吉宗が将軍になったと言われています。

 もともとは越前の小大名にすぎなかった吉宗は、将軍の継承順位は低く、紀州藩主さえおぼつかないのに、なぜか征夷大将軍にまでのぼりつめた人。そうした吉宗の特異な経緯が「新吾」その他の物語を生み出す素地となっているといえるでしょう。

 ちなみに吉宗の母浄円院(於由利の方)は巨勢利清の娘で、湯殿番をしているときに、光貞の手がついたといわれ、母親の身分が低かったため、幼年時代は家老の元で育てられたと伝えられています。

 将軍となってからは享保の改革を進め、名君として後世まで名を残しました。(小学館日本大百科全書、Wikipedia)

 

新吾と頼方の二役

 第1部では、橋蔵さんは葵新吾と父親の松平頼方の二役を演じています。

 新吾はひたすら剣に生き、正義感が強く行動力のある青年に対して、頼方は現状に満足できない自意識過剰型で、悶々とする内面描写が難しい役。殺陣も新吾が自源流なら、頼方は放生一真流と違い、対照的な二役を見事に演じ分けています。

 デビュー以来初のスケールの大きい人生ドラマということで、橋蔵さんは渾身こめて撮影に臨み、上映されると、橋蔵さん以外の新吾は考えられない、と大好評。『若さま侍捕物帖』と並んで、「新吾」シリーズは橋蔵さんの代表作となったのです。

 

新吾の髪型が大流行

 新吾の役作りで、橋蔵さんは自分の持ち味をいかし、新吾像を男っぽい剣豪でなく、将軍の子ならではの気品を優先した美剣士に仕上げようと考えたようです。

美女丸という名から連想される男でも女でもない中性的なものをイメージし、髪型も今までにみられないポニーテールスタイル。陣羽織に小袖、袴の衣裳は、実に華やかでセンスもよく、しかも気品ある美しさ。これも歌舞伎の様式美につながる感覚。

新吾のスタイルは観客に夢と希望を与え、新吾に憧れた多くの女性ファンがポニーテールに髪型を変え、一世を風靡することとなりました。

 

カットされた名場面

 現在残っている『新吾十番勝負』のビデオは第1部と第2部が合わさった総集編。

 そのためカットされた名場面も多く、見られないのが残念です。第1部では30分くらいがカットされ、その多くは頼方の登場する前半。

 記憶に残っていない場面もあるのですが、雑誌の「ロケスナップ」や「撮影春秋記」などから、主なところを抜き出してみると・・・

 ① まずは瀬田川の寒中水泳。鯖江藩3万石の城主、頼方が退屈しのぎに家臣と水泳をする場面。

撮影された日は真冬で水温氷点下6度。舟べりにつかまってそろりそろりと水の中に入ったとたん、ジーンと電気に触れたようなショックを受けたとか。2人が軽い心臓麻痺をおこすなかで、橋蔵さんは無事泳ぎ切り、「橋蔵さんは心臓が強いんですねえ」とスタッフに妙な感心のされ方をしたそうです。このところ水難の相あり、とこぼすこと。

 

② 「犬でも斬りなさい」と言われた頼方が3匹の犬に剣を振り上げるが、「犬ではだめだ」と駄々をこねる場面。

斬られ役の犬集めに苦労したそうで、いざ撮影がはじまると、人なつこくてクンクン鼻をならし身体をすり寄せてくる。少しは吠えてくれないと感じがでない、と監督も困り果て、撮影に時間がかかった由。

 

③ 「お前を不幸にしたのだから、今度はオレが幸せにしてやりたい」と頼方がお長に語る場面。

 

   縄で縛られたお長と頼方のやりとり。

「オレはお前を幸せにしてやりたい。オレの心がわかるまではそのままにしておく。手足の不自由な介抱はオレがする」

「嫌です。そんなことは嫌です」

「お長、オレたちはもう他人ではないのだ」

「えっ」

「お前の胸に聞け、体に聞け」

激情的な台詞に橋蔵さんは硬くなってしまい、NG続出。稽古場でのリハーサルはなんとか終了したものの、本番のセットは6畳の小部屋に雪洞が薄桃色の光を放ち、ムード満点。すっかり照れてしまい、撮影に7時間かかったとか。

 

 総集編でカットされた部分はいずれも頼方の性格をあらわしている場面で、残しておいてほしかったと思います。もっとも②と④はスチール写真や撮影日記に書かれていて、撮影されたことは間違いないのですが、封切り時に見た私の記憶に残っていないのです。

 新吾の宿敵、武田一真が父、頼方の指南役だったという因縁、激情的な台詞に新生面を開拓した橋蔵さんの演技、できることならもう一度見たいものですね。

 

 『新吾十番勝負』は封切りされると同時に大反響を呼び、橋蔵映画の一大傑作として後世に語り継がれることとなりました。

 

(文責・古狸奈 2010531)