「新吾十番勝負」完結篇
「新吾十番勝負」完結篇
(1960・4・16 東映京都作品)
原作・川口松太郎
脚色・川口松太郎 中山文夫
監督・松田 定次
<配 役>
葵 新吾 …大川 橋蔵
お鯉の方 …長谷川裕見子
多加(由紀) …丘 さとみ
お 縫 …大川 恵子
真崎庄三郎 …岡田 英次
白沼半十郎 …田中 春男
尾形乾山 …薄田 研二
武田一真 …月形龍之介
徳川吉宗 …大友柳太朗
ものがたり
武田一真を求めて、四国への船の中で、新吾は白沼半十郎と知り合い、金比羅権現まで来た所で、丸亀藩に追われる絵師、尾形乾山を助けた。
西条の城に乾山の身柄をあずけた新吾はお縫に会い、江戸に向かうことになったが、小松島で新吾に直訴した娘の父親を助けたことがかえって仇になり、父娘は討たれてしまう。
怒った新吾は相手を一人残らず斬り倒したが、むなしさが残るだけだった。
再び、剣の道に励む新吾・・・
享保13年4月3日、江戸城内で上覧試合が開催されることとなり・・・
柳生流代表として出場する宿敵一真と、父吉宗、母お鯉の方、お縫を前に新吾は対決の時を迎えた・・・
厳寒のなか滝に打たれ
『新吾十番勝負』もいよいよ佳境に入り、完結篇を迎えます。
剣の修行に励む新吾が滝に打たれ、邪念を払う場面から始まります。撮影現場は白糸の滝。
『新吾』の第三部と完結篇は同時進行で撮影されたため、第三部の箱根路の発砲場面の撮影と同じロケで行なわれ、頃は寒中真只中の2月。「滝に打たれた瞬間、全身数千の針に刺されたような痛みと、続いて冴えきった清々しさを感じたが、それも一瞬のことで、あとはぼんやり気が遠くなるようだった」と橋蔵さんは記しています。それだけの厳しい行だからこそ、修験者たちの修行の場となるのでしょうが、俳優さんも楽ではありませんね。
それにしても橋蔵さん、『くれない権八』では寒空の中の川渡り、『紅鶴屋敷』では冷たい海にドボン、『新吾』第一部では頼方役で寒中水泳、そして完結篇では滝に打たれ、全てが厳寒の頃の撮影ばかり。よほど水難の相がおありかと。橋蔵さん受難の撮影は、滝に虹がかかり、カメラは上機嫌だったとか。
これが同一人物?
金比羅権現で新吾が助けた尾形乾山。
実在の尾形乾山(1663―1743)は江戸時代の陶工、絵師で名は惟充。通称は権平、新三郎。京都の呉服商、雁金屋(尾形宗謙)の3男で6歳上の兄が光琳。遊び人で派手な兄光琳とは対照的で、地味で内省的な性格だったという。仁和寺近くに住んでいたとき、野々村仁清と知り合い、陶芸を学ぶ。その後、二条綱平から京の北西、鳴滝泉谷の山荘を与えられ、窯を開くが、その地が都の北西(乾)だったことから乾山と名乗るようになった。乾山が作陶し、兄光琳が絵付けをした兄弟合作の作品も多い。
享保16年(1731)、69歳のとき、江戸入谷に移り窯を開いた。晩境は絵画に名作を多く残している。享年81。(Wikipedia、小学館日本大百科全書)
時代劇の面白さはこうした実在の人物を、イメージにあわせて適度に膨らませて描き出せることでしょう。薄田研二さんの乾山は絵に精魂をこめる絵師としての心情がよく表されていて、これが第一部での敵役、井上河内守と同一人物とは思えないほど。どんな役でもその役柄になりきってしまうのは見事としかいいようがありませんね。
謎を秘めた女多加
完結篇ではじめて丘さとみさんが多加女で登場します。新吾が全篇を通じて最も心惹かれた女性、謎を秘めた女の役。最後に多加が実は酒井讃岐守の息女由紀姫という人物設定は、普通は考えられませんが、格式にとらわれず、自分に正直で行動的な魅力あふれる女性として描かれています。お縫、綾姫、おきく、そして多加といった新吾を取り巻く女性たちとの恋模様がドラマに安らぎを与えています。
新吾の心の葛藤
厳しい剣の修行と、両親への思慕や孤独感にさいなまれる新吾。いったんは助けた父娘を、蜂須賀藩の追っ手にまんまと討たれてしまい、逆上した新吾はお縫や半十郎の止めるのも聞かず、追いかけてみな倒してしまいます。
仇を討った、やった、と思ったのもつかの間、むなしさがこみあげてきて、剣は道を求めるもの、人を殺すために修行したのか、父母への恋慕の情は断ち切れるのか、と自問自答し、心の葛藤が描かれます。ここで改めて全ての邪念や欲望を払って、再度大台ケ原で剣の修行に励む決心をするのです。新吾が人間的に成長する重要な場面です。
気迫に圧される対決場面
『新吾十番勝負』では大勢を相手に戦うだけでなく、個々の対決場面も多く出てきます。橋蔵さんにとっては、殺陣師に型をつけられているものの、1対1の対決場面の方が、多数相手の立ち回りより、相手の気迫に圧されて非常に疲れるのだそうです。スクリーンからはみ出しそうな相手の迫力。見ている方まで圧倒されるほどの全身からみなぎる殺気。隙のない動き。
その集大成が御前試合の新吾と一真の対決です。静止したまま動かない二人。それぞれの心の声。冷静に相手を読む、剣客としてひと回り大きくなった新吾。逆に焦りを覚える一真。その差が勝負を決します。完結篇ならではの迫力。見ごたえ充分です。
新吾は当時の理想像
一真に勝って、晴れて親子対面、というのに、またもや逃げ出してしまう新吾。嘆く吉宗とお鯉の方。
「天下第一の剣を保つことはそれを望む以上に苦しいことかもしれません。新吾はその苦しい道を歩むために生まれてきたのです。私は行かねばなりません。どうかお許しください」
いずかたともなく馬で駆けていく新吾の後姿・・・
新吾の生き方はあまりに理想化されすぎているかもしれません。しかし、ここで親子対面をさせてはいけないのです。あえて苦しい道を歩もうとする新吾は、60年頃の日本人が自己犠牲の上に、将来の栄冠を勝ちとろうとした姿と重なるものだったからです。
戦後15年経ち、東京オリンピックを4年後に控えた日本はまだ復興半ばで、多くの日本人はより豊かな生活を求め、寝食も忘れてただひたすら働いていました。家庭や恋愛は二の次で、仕事が第一でした。だからこそ、私情を殺し厳しく苦しい剣の道に励む新吾に、我が身を映し出し共感を覚えたのです。
やがて人々が豊かになり、価値観が多様化してくると、新吾のような生き方は堅物で融通のきかない少数派となっていきました。
とはいえ、安易な道を避けて、自分を磨き剣の道を追い求めていく新吾の姿は、そうした一途さが失われつつある現代だからこそより感銘を与え、いつの世にも共感を持って受け入れられていくように思います。
原作のおもしろさに適役を得て、新吾シリーズは未曾有の大当たりとなりました。特に橋蔵さんの新吾は持ち前の気品と美貌で、他に新吾役者はいない、とまで言われ、多くの女性ファンを魅了しました。『新吾十番勝負』が完結すると、すぐさま『二十番勝負』の企画が持ち上がるほどでした。
「若さま」と並んで「新吾」は誰しもが認める、橋蔵さんの代表作となったのです。
(文責・古狸奈 2010・9・4)
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