「江戸三国志」


「江戸三国志」第1部

 

「江戸三国志」第一部

    1956524 東映京都作品)

   原作・吉川英治 

   脚色・八尋不二 

   監督・萩原 遼

 

   <配 役>

    徳川万太郎 …大川 橋蔵

    相良 金吾 …伏見扇太郎

    今井 お蝶 …千原しのぶ

    丹頂のお粂 …喜多川千鶴

      日本左衛門 …月形龍之介

ものがたり

 江戸の盗人市。高価な伊太利サンゴの売り主、お蝶に目をつけた怪盗日本左衛門は、彼女の帰途、強請りにかかったが、尾張家三男坊、徳川万太郎に阻まれ失敗。お蝶を送り届けた相良金吾からお蝶はキリシタンゆかりの者と聞いた万太郎。家宝「出目洞白の鬼女の面」を見せ、面にまつわる話をしたその直後、面は日本左衛門に奪われてしまう。捜索を命じられた金吾は盗人市で面を見つけるが斬りつけられ、左衛門の情婦お粂に助けられる。

 一方、お蝶は父親から自分はローマ王族の後裔で秘宝「夜光の短刀」を探していると告げられる。父親は殺され、獄中の伴天連ヨハンから短刀の所在を示す聖書も伊兵衛に奪われてしまう。

 面の行方を追って、伊兵衛、左衛門、万太郎が激突。万太郎に左衛門の烈刀が迫る・・・

 

青春トリオの活躍

この『江戸三国志』は吉川英治の原作を、大川橋蔵、伏見扇太郎、千原しのぶの青春トリオが活躍する痛快時代劇。秘宝の面と短刀をめぐって、正邪が入り乱れ争奪戦をくりかえし、あと少しのところで悪者に取られてしまう。そのたびに観客はハラハラさせられる仕組み。

万太郎や相良金吾の正義に対し、日本左衛門や伊兵衛の悪といった善玉、悪玉もはっきりしていて、橋蔵さんの颯爽とした活躍ぶりが楽しめる作品です。

戦前、原作が発表されてすぐの1928年、『江戸三国志』第1部(31日)、第2部(55日)、第3部(83日)と、河部五郎、酒井半子の出演で、日活太秦撮影所版が製作されているようですが詳細は不明です。(『キネマ旬報』データベース)

 

健全な娯楽としての時代劇

戦後、復興したばかりの映画は『笛吹童子』や『紅孔雀』といった空想伝奇時代劇とでもいえそうな作品が多く作られました。離れ島や外国などの特殊な場面設定、妖術や奇想天外な秘術を操る登場人物、秘宝をめぐる争奪戦、主人公の颯爽としたヒーローぶり・・・観客は空想の世界に夢を馳せ、主人公の次々に降りかかる危難にハラハラし、颯爽とした活躍ぶりに喝采を浴びせました。それこそ時代劇映画は大人から子供までが楽しめる健全な娯楽だったのです。

この『江戸三国志』は徳川吉宗の頃と、時代背景ははっきりしていますが、秘宝探しやローマ王族の流れをくむ混血娘お蝶の登場など、天衣無縫ともいえる空想伝奇時代劇の流れをくむものといってよいと思います。

三つ葉葵の紋をつけた着流し姿で、江戸市中を歩く万太郎。若殿さまの髪型から次の瞬間には月代を伸ばした浪人姿・・・ちょっと考えるとおかしなところも多々あるのですが、黎明期の映画は製作する方も見る方も、細かいことは全然気にしないんですね。とにかく主人公が格好良くて、颯爽としていればそれでよし。正義の味方で勧善懲悪・・・

大人から子供まで楽しめ、時代劇映画が健全な娯楽だった時代の証しともいえる作品です。

 

混血娘お蝶

千原しのぶさん扮するキリシタンのお蝶は、ローマの王族の流れをくむ混血の娘。映画は白黒でわかりませんが、茶髪で縮れ毛。

海外旅行がまだ一般的でなかった時代、ローマへ旅立つお蝶は外国への憧れの象徴でもありました。

 

若さま侍と同じキャラクター

橋蔵さん映画出演6作目の『江戸三国志』の主人公、徳川万太郎は、尾張家のやんちゃな三男坊。身分が高く、剣がめっぽう強いのも若さまと同じ。橋蔵さんの気品と美しさがいやおうなしに引き出されています。

橋蔵さんは立ち回りが大好きで、暇があれば剣会のメンバーと練習に励むほど。撮影も立ち回りのある日はご機嫌。

ある日、刀を回して鞘にパチンと入れるのを教わった橋蔵さん、撮影の合い間に刀をクルリ、パチン、クルリ、パチンとやってご満悦。女優陣にも披露して大はしゃぎ。それを扇太郎さんにまで見せたものだから相手が悪い。「橋蔵さん、お年の割に無邪気ですね」と言われてがっくり。

そのとき橋蔵さんは27歳。年齢の割にかどうかは別にして、そんな無邪気な時代もあったのですね。

 

半年前に第4の新人として映画界入りした橋蔵さん、1作ごとに人気は急上昇。デビュー6作目でブロマイドの売れ行きが5本の指に入っていたといいますから、驚きですね。

 

 

            (文責・古狸奈 2010610


「江戸三国志」疾風篇

 

江戸三国志」疾風篇

      (195661 東映京都作品)

   原作・吉川英治 

      脚色・八尋不二 

      監督・萩原 遼

 

   <配 役>

    徳川万太郎 …大川 橋蔵

    相良 金吾 …伏見扇太郎

    今井 お蝶 …千原しのぶ

    丹頂のお粂 …喜多川千鶴

    千蛾 老人 …明石  潮

    娘  月江 …円山 栄子

                     日本左衛門 …月形龍之介

ものがたり

 人気のない熱海海岸で、漁師に襲われた娘月江を助けた尾張家の用人、善右衛門は金吾を発見し、不覚を恥じる彼を叱り励ました。面は巡りめぐって狛家の当主、千蛾老人に渡り、やがて左衛門へ。

 8代将軍吉宗から鬼女の面を見たいと所望され、尾張家は苦境に。万太郎は再び左衛門一味と対立。万太郎に左衛門一味の輪がじりじりと迫ってくるのだった。

 

物語はさらに複雑に

 「疾風篇」から明石潮さんの千蛾老人と円山栄子さんの月江が登場します。

 話はますます複雑になり、面は次々と人の手に渡っていきます。

 金吾を助けたお粂は左衛門の情婦でありながら、金吾を慕うようになり、物語に色を添えています。

 橋蔵さんは浪人姿で登場。くだけた姿が魅力的です。

 

貫禄充分、月形さんの日本左衛門

 いったいどうしてわかるのか、肝心な時に現れて邪魔をする日本左衛門。月形龍之介さんの日本左衛門は貫禄充分。青春トリオに相対する月形さんの存在が映画全体をリードし、この作品を引き締めています。

橋蔵さんの美剣士ぶりも月形さんあってと言えそうです。

 

東映を再起させた萩原監督

ところで監督の萩原遼氏は1910年、大阪西区生まれ。本名、陣蔵。当時、日本の租借地だった遼東半島大連に日本が建てた関東州立大連第一中学校を卒業。1930年(昭和5)、20歳のころマキノ・プロダクション。その後、日活京都撮影所に入社。助監督として師事した山中貞雄とともに、脚本家の八尋不二、三村伸太郎、藤井滋司、監督の滝沢英輔、稲垣浩、鈴木桃作による脚本集団「鳴滝会」に最年少で参加。共同ペンネーム「梶原金八」として執筆を始めました。折しもサイレント映画からトーキーへの移行期でした。

助監督、あるいは「梶原金八」メンバーとして、『丹下左膳余話 百万両の壺』、『関の弥太ッぺ』を手がけ、1936年(昭和11)、山中原作、萩原脚本による『お茶づけ侍』で監督デビュー。『荒木又右衛門』、『修羅山彦』、『森の石松』、『その前夜』などの監督をつとめています。

戦後第1作は1946年(昭和21)、長谷川一夫主演の『霧の世ばなし』。大河内傅次郎主演『大江戸の鬼』、松田定次監督、片岡千恵蔵主演の『獄門島』ではチーフ助監督として参加しています。

東映で監督に復帰してからは、『笛吹童子』、『紅孔雀』などを手がけ、東映の再起に大いに貢献しました。橋蔵さんの出演作品では、『江戸三国志』、『ふり袖太平記』(56)、『修羅時鳥』、『緋ぼたん肌』、『ふり袖太鼓』(57)があります。

東映を離れてからは三波春夫主演『千両鴉』(61)、安藤昇主演『やくざ非情史 血の決着』など。

1976年(昭和5143日、東京で死去。享年65。(ウィキペディア)

 

萩原監督は戦前は師と仰ぐ山中貞雄監督のもとで、チーフ助監督、脚本家として名作にかかわり、戦後は東映にあって、娯楽映画を数多く製作しました。倒産寸前の東映をトップの映画会社に躍進させた功労者のひとりといっていいでしょう。

 

                (文責・古狸奈 2010610 初出 

 

201589 補足)


「江戸三国志」完結迅雷篇

 

「江戸三国志」完結迅雷篇

        195668 東映京都作品)

   原作・吉川英治 

      脚色・八尋不二 

      監督・萩原 遼

 

   <配 役>

    徳川万太郎 …大川 橋蔵

    相良 金吾 …伏見扇太郎

    今井 お蝶 …千原しのぶ

    丹頂のお粂 …喜多川千鶴

  千蛾 老人 …明石  潮

    娘  月江 …円山 栄子

                     日本左衛門 …月形龍之介

ものがたり

 お粂に急を知らされた金吾と捕方の救援で、事なきを得た万太郎は、自害したお粂から面の所在を知り、左衛門から面を取り戻した。

 一方、短刀については、千蛾老人から捜索図を与えられたが、またもや押し入ってきた左衛門に捜索図の一片を奪われてしまう。

 捜索図は江戸城中を指していた。吉宗の許しを得た万太郎らの探索が始まる。江戸城中といえども意に介さない左衛門は反対側から探索の手をのばしていた。

 お蝶もまた左衛門から捜索図を盗み取り、万太郎に渡そうと城内に潜伏する。

 ついに、短刀の所在を探り当てた万太郎は追ってきた左衛門をたおし、夜光の短刀をお蝶に与え、父の国ローマへ向かう船上のお蝶を見送るのだった。

 

いよいよ佳境に

 物語はいよいよクライマックス。面を取り戻し、次は短刀のありか探し。

 夜光の短刀があるという江戸城中の撮影は二条城で行なわれました。

 青春トリオはロケ撮影に大はしゃぎ。かけっこをしたり、若さを発散。実際、千原しのぶさんは走るのが得意だったようで、撮影がはじまると駆けるのが早く、カメラアングルからすぐにはみだしてしまったのだとか。

 石垣の上に立つ橋蔵さんや扇太郎さんのところまで、太陽の反射光が届かず、直接ライトを当てるようにしたそうですが、まともに顔に当てると眩しくなるので、ライトの当て方にも一苦労。昔の映画撮影は人知れぬ苦労があったのですね。

 この二条城の映像、植え込みなども少なく、現在に比べると実に殺風景。戦後10年しか経っていない当時は、史跡の整備まで手が届かなかったことがうかがえます。

 

船上のお蝶と見送る万太郎

 白浜で撮影されたローマ行きの船の上で、千原しのぶさん、「お蝶はどうやってローマ語を覚えたのかしら」と心配することしきり。千原さんって苦労性?とはそれを聞いたスタッフの弁。

 船上のお蝶を見送る万太郎の凛々しいこと。砂浜の松林を背景に、橋蔵さんがアップで映し出されたとたん、スクリーン全体が華やいで大物スターの存在感・・・

当時の橋蔵さんは、映画俳優としてはスタートラインに立ったばかりでした。映画を見た誰しもが、スクリーンに漂う天性のスターが持つオーラを感じ、橋蔵さんの輝ける未来を確信したにちがいありません。

 

 

            (文責・古狸奈 2010610