「濡れ燕 くれない権八」

 

「濡れ燕 くれない権八」

    (19581014 東映京都作品)

     脚本・鈴木兵吾 監督・内出好吉

  

 <配 役>

   紅  権八 …大川 橋蔵

   棟方 鉄心 …市川小太夫

   棟方比呂恵 …大川 恵子

    小   夕 …長谷川裕見子

   稲田 辰馬 …堀  雄二

   稲田富士馬 …尾上鯉之助

               花川戸長兵衛…市川右太衛門

ものがたり

 姫路城中の御前試合で、姫路藩剣道指南、棟方鉄心と対決し、相討ちの判定となった無名の長州浪人、紅権八は鉄心の門弟に襲われ、やむなく止めに入った鉄心と闇討ちの首謀者、稲田辰之進を斬ってしまう。

 仇討の旅へ発つ鉄心の娘、比呂恵と辰之進の弟、辰馬と富士馬。

 それとは知らず、京の町で酔った武士たちに絡まれている比呂恵を助けた権八。比呂恵は権八が父の仇と知り、愛憎の相剋に悩むのだった・・・

 

白井権八とは別の物語

 紅権八と聞くと、歌舞伎の「鈴が森」でお馴染みの白井権八を思い浮かべますが、この『濡れ燕 くれない権八』は白井権八とはまったく別の物語です。

 とはいえ、ちょっと気になる白井権八。この際本題に入る前に、少し調べてみることにしましょう。

白井権八のモデル、平井権八(?1679)は鳥取藩士で、父の同僚本庄助大夫(ほんじょう・すけだゆう)を殺害して逐電、吉原三浦屋の遊女小紫と馴染みとなり、遊興費ほしさに浅草日本堤で辻斬りを重ねました。その数130余名。

 やがて、東昌寺の住職、随川に尺八を習い、改心し自首。鈴が森で処刑されました。権八の後を追って、小紫が自害して果てたことから、目黒不動尊に比翼塚が建てられました。

 この実話を4世鶴屋南北が世話狂言「浮世柄比翼稲妻」(うきよづかひよくのいなずま)として著し、人気を博しました。中でも「鈴が森」の場面は、白井権八と幡随院長兵衛(16221657)役の2人の看板役者が揃うだけで興行できたので、独立して数多く上演されるようになったのです。

鈴が森で雲助にからまれて、斬りあいをしているところを、通りすがりの長兵衛に見られ、あわてて立ち去ろうとする権八に、長兵衛が「お若えの、おまちなせえやし」と声をかける場面は広く知られています。ちなみに平井権八が生まれた頃、幡随院長兵衛はすでに旗本奴水野十郎左衛門に殺されていて、ふたりの出会いは実際にはありえません。その後の創作といえるでしょう。

平井権八が白井権八になったのは、江戸っ子が「ひ」と「し」が言えなかったからだとも言われています。(Wikipedia 他)

 

愛憎を乗り越えて

一方、この『濡れ燕 くれない権八』は運命のいたずらか、父親を斬った仇、権八と自分を仇と狙う娘、比呂恵とがお互いに恋するようになり、愛憎に苦しんだ末、長兵衛に諭され、ふたりで落ち延びていくという愛の物語です。

とはいえ、名前も同じ権八なら姓が白でなく紅、前髪立の若衆姿のいでたち、人を斬って追われる身であること、花川戸長兵衛に声をかけられ食客となることなど、白井権八を意識して創り出された作品であることは間違いありません。

 

仇と知らずに惹かれあう

 それまでの映画では橋蔵さんが斬る相手は誰が見ても正真正銘の悪役でした。正義のため颯爽とバッタバッタと斬り倒していたのですが、この作品では襲われて身を守るため、やむなく闇の中で払った剣が止めに入った鉄心と、首謀者の稲田辰之進を斬ってしまうのです。

 そのため仇として追われる身となり、しかも鉄心の娘比呂恵の美しさに心を奪われる権八。一方の比呂恵も父親の仇と知りながら、権八に惹かれてしまいます。

 お互いが仇同士であることを知らず、川岸での出会い、京の町で比呂恵の危難を救う形での再会・・・ふたりが心惹かれていく様子が京の祇園祭の情趣を盛り込みながら描かれていきます。

 思いを寄せる娘があろうことか、自分を仇と狙う鉄心の娘だったと知ったときの権八の驚き。剣の指南と見せかけて比呂恵に討たれようと覚悟を決める権八。雷鳴の響き、権八の心の動き。胸の鼓動と呼応するように、水車小屋の規則正しい杵の音が高まっていき・・・この作品最初のクライマックスです。

 最後に切先を下げる権八の姿に、権八が仇と知る比呂恵。その日から比呂恵は愛憎の相剋に苦しみ始めるのです。

 

自ら長兵衛役を

 六郷の渡しの撮影は木津川で行なわれました。一文無しになった権八が歩いて川を渡ろうとするのを、舟の上から長兵衛が声をかける場面。侠客花川戸長兵衛役は市川右太衛門さんが自ら買って出られたとか。寒中の川渡りの橋蔵さんと、真冬が想定の場面で厚着させられて、「暑い暑い」と連発する右太衛門さん。対照的なおふたりだったようです。

 右太衛門さんの花川戸長兵衛の登場で、グッと引き締まる画面。さすが貫禄充分です。橋蔵さんの主演作品で、右太衛門さんが共演されたのはこの1作だけで、その点だけでも貴重な作品といえるでしょう。

 

情念と哀切のそれぞれの愛

 深川の船宿で川面を眺める権八に一目惚れする辰巳芸者の小夕。長谷川裕見子さんの艶やかな芸者姿、粋ですね。

 自分の思いが届かないことに腹を立て、権八を材木置場に呼び出す手引きをしたものの、後悔する小夕。転がり落ちた100両の金子を見て、長兵衛との約束を果たせなかった罪の意識に悶える、女の業と哀れさが漂います。

 

 清純な武家娘、比呂恵は大川恵子さんならではのもの。親の仇と知りながら権八を恋してしまい、権八に「私を討ちなされ」と言われ、「私には討てませぬ」と権八の胸に泣き崩れる比呂恵。比呂恵に討たれるために必死になって刃の中をくぐってくる権八の思い。ふたりの恋の一途さが仇討の無情さを強調しています。

 仇討は江戸時代、武士本来の名誉を守ることで、一定の条件の下で認められた慣習でした。しかし、多くの悲劇を招いたため、明治625日、「仇討禁止令」が発令されました。仇討にまつわるドラマは講談や映画などの題材として、今でも多く取り上げられています。

 最後に小舟でいずかたへと去っていく権八と比呂恵。橋の上をうなだれて歩く小夕の対照的な描写で、映画は余韻を残して終わります。

 

 悪を滅ぼす颯爽としたヒーローの立ち回りから、心の葛藤がにじみ出る権八の剣。武士であるがゆえに逃れられない対決を、愛する者に討たれるために必死に戦い、逃れようとする権八。殺陣にも今までにない哀切を感じさせます。

 単なるヒーローから人としての哀歓を加味した『くれない権八』は、役者として橋蔵さんが一歩前に進んだ作品でした。が、理屈は抜きにして、この作品での橋蔵さんの美しさは際立っていて、着流し姿といい、哀愁を帯びた正統派二枚目の橋蔵さんに会える極め付きの作品といえるでしょう。

 

 

(文責・古狸奈 201141)