「橋蔵の若様やくざ」

「橋蔵の若様やくざ」

     1961611 東映京都作品)  

  原作・北園孝吉「おとぼけ侍」

  脚本・結束信二 

  監督・河野寿一

 

  <配 役>

   鯛平(松平誠太郎)…大川 橋蔵

   鼠小僧三郎吉   …木村  功

   鶴    江   …大川 恵子

   お    雪   …桜町 弘子

    いざよいお吉    …久保菜穂子

    阿部川勘蔵     …千秋  実

    加山勝右衛門    …小沢栄太郎

    風早主税之亮    …安部  徹

                   後東四郎右衛門   …大河内傳次郎

ものがたり

宮津藩7万石、松平丹後守に11代将軍から「千鳥の香炉」が贈られた。怪しげな安物とはいえ、将軍下賜となれば大変な家宝。その家宝が2代目鼠小僧に盗まれたから一大事。家宝を探すためやくざ姿に身を変えて、お江戸八百八町を探し回る若様。恋と剣と笑いをふりまく痛快娯楽時代劇。

 

2つの魅力

颯爽とした美剣士の魅力と軽妙でユーモラスな持ち味・・・2つの魅力が堪能できる『若様やくざ』。橋蔵さんの2枚目半の軽妙な演技は、『清水港に来た男』ですでに実証済みですが、今回は鯛平のおとぼけぶりと、千秋実さん扮する阿部川勘蔵とのやりとりが楽しい作品です。

 

楽しい挿入歌

始まりと同時にジャジャジャジャーンとベートーベンが流れたり、居酒屋では「酒は涙か」、雨の日に、雨漏りする屋根の上で傘をさしながら「有楽町で会いましょう」をもじって「おまえを待てば雨が降る」。意気揚々とした場面では行進曲、意気消沈して「海ゆかば」とお馴染みの曲がふんだんに挿入されています。

 

劇画的映像表現

漫画のふきだしと同じ、登場人物の思いがふきだしの中に映し出されて、視覚に訴える場面が随所に出てきます。財布の小判に心が動いたり、自分の予想される姿に意気消沈したり、より具体的でわかりやすい表現となっています。映画に漫画の技法が取り入れられていて、それだけで笑ってしまいます。

 

下されものという付加価値

将軍からの賜りものというだけで、大した価値のない「千鳥の香炉」を探し求めなければならない馬鹿馬鹿しさ。お笑いだけでなく、ちゃんと風刺もきかせています。

 

幸福の手紙

この幸福の手紙、あの頃はやりましたね。

3日以内に、3通書いて他の人に回さないと不幸になる、なんて書いてあって、私にも回ってきました。これ、幸福の手紙じゃなくて不幸の手紙じゃない、と思ったものです。

くだらない、とは思っても、不幸になるといわれると、何となく落ち着かない。どうしよう、と思って、机の引き出しに入れたまま忘れてしまって、それっきり・・・

別に不幸にはならなかったけれど、何とも嫌な後味の悪い思いが残ったものでした。

物語の中に当時の風潮も取り入れられ、幸福の手紙にくくりつけられたことで、香炉があちこちに移動してしまい、見つかりにくい原因となっています。

 

『清水港に来た男』と『若様やくざ』

2作品とも頼りなさそうな男が実はれっきとした身分のある侍、という点で共通しています。『清水港に来た男』では、清水一家にもぐりこんだ三下の政吉が実は勤皇の志士、一方の『若様やくざ』では風来坊の鯛平が実は宮津藩7万石の若君。

どちらも物語の前半は軽妙なとぼけた演技で笑わせ、最後に颯爽とした美剣士ぶりでしめくくる趣向。

ただこの2作品は笑いの質に違いがあるように思います。

『清水港』の方は、政吉の調子のいい話しっぷりや図々しさなど、橋蔵さんの軽妙な三枚目の演技に、知らず知らず笑いがこぼれました。それに対して、『若様やくざ』の方は、橋蔵さんのおとぼけぶりは絶妙なのですが、それ以前に、漫画チックなふきだしや挿入歌などで、何が何でも笑わせようといった、製作の意図が随所に見え隠れします。単刀直入ともいえる直接的な笑いのように思います。古典落語と漫才や漫画の差といえるかもしれません。

当時は出版界も活字から漫画へと移行していく時代で、そうした時代の波が映画にも投影されているように思います。

 

気分が落ち込んだときやイライラしたときなどに、この『若様やくざ』を見ると気分爽快。文句なく楽しめる作品です。

 

                      (文責・古狸奈 2010426