「黒の盗賊」
「黒の盗賊」
(1964・12・24 東映京都作品)
脚本・結束信二/宮川一郎/井上梅次
監督・井上梅次
<配 役>
武蔵小太郎・立花次郎…大川 橋蔵
本多 忠勝 …大友柳太朗
天海 僧正 …千秋 実
徳川 秀忠 …林 真一郎
島田軍兵衛 …多々良 純
服部 半蔵 …藤山 寛美
狭 霧 姫 …入江 若葉
桔 梗 …北条きく子
お 銀 …久保菜穂子
花 乃 局 …千原しのぶ
ものがたり
徳川2代将軍秀忠の治世。旗本屋敷を専門に狙う黒の盗賊の一団があった。
築城を進めようとする本多忠勝と天海、町造りを進めようとする立花次郎と意見は対立していた。
そんな折、築城の秘密の洩れるのを恐れた忠勝は5人の棟梁に反逆罪をきせ、打首を宣告する。万策尽きた次郎は黒の盗賊になりすまし・・・
対照的な2役
この『黒の盗賊』はフランス映画『黒いチューリップ』のアランドロンの2役にヒントを得て、結束信二、宮川一郎、井上梅次の3氏共同で、書き上げられたオリジナルシナリオ。
監督は石原裕次郎主演の『嵐を呼ぶ男』の原作者であり、脚本、監督をつとめた井上梅次氏。井上監督は原作、脚本、監督、音楽まで全てをこなすほどの多才ぶりをみせ、日活、大映など邦画各社の枠を越えて現代劇を中心に撮りつづけ、モダンな演出で定評がありました。橋蔵さんの作品では『黒の盗賊』と『大勝負』の2作品を手がけています。
撮影に当たって、井上監督は「キネマ旬報」64年12月下旬号の撮影所通信の中で、「橋蔵さんはどんな役でもこなせる得がたいタレント。多角的に演出し、違った魅力を引き出したい」と豊富を語っています。
この作品で橋蔵さんは武蔵の国の土地の奪還を図って、旗本屋敷ばかりを狙う黒の盗賊の頭領・武蔵小太郎と、旗本・立花次郎に扮し、猛々しく野性味を帯びた小太郎と、凛とした正義感溢れる次郎の2役を演じ分けました。
江戸時代といっても秀忠の時代は、戦国時代がようやく終わろうとする頃。盗賊の頭領の小太郎はもちろんですが、次郎も従来の優男といった二枚目ではなく、骨っぽい美男ぶりになっています。
日比谷まで海だった江戸時代
1590年(天正18)、徳川家康が入府したばかりの江戸は、日比谷あたりまで入江が食い込み、湿地帯が広がっていました。当時の江戸は東は日比谷入江、西は武蔵野台地が広がり、要衝の地としては最適でしたが、居住地の確保と交易路の建設が急務でした。
1592年には江戸城の周囲、和田蔵門から隅田川にかけて道三堀と呼ばれる堀の掘削工事が始められ、余った土は日比谷入江の北側、丸の内から八重洲あたりの埋め立てに使われました。
次いで1603年(慶長8)には、江戸城北部の台地(神田山)を切り崩し、入江南部の日本橋、京橋、新橋、築地が埋め立てられて、江戸の町が徐々に広がっていきました。
一方、交易路の確保としては、慶長年間(1596―1615)に、隅田川と中川を結ぶ小名木川、中川と江戸川を結ぶ新川が開かれました。水路の規模は川幅20間(約36m)、深さ6尺(約1.8m)だったそうです。
町の造成が進み、整ってくると人口も増え、生活ごみ問題が浮上。それまでごみは屋敷内や空地、川に捨てられたため、衛生上好ましくなく、1655年、ごみ処理令が出され、全てのごみは隅田川左岸河口の永代島に集められ、埋め立てに使われるようになりました。
同じころ、1657年(明暦3)、振袖火事が起こり、材木置場が深川に移転したこと、江東地方に武家屋敷を分散させたことから、町としての体裁が徐々に整い、やがて大江戸八百八町と呼ばれる100万人都市へと発展していきました。(遠藤毅「東京都臨海域における埋立地造成の歴史」地学雑誌・2004 他)
1606年、江戸城築城の時代を背景に、武蔵の国の奪還を目指す黒の盗賊一派の攻防と、築城派の本多忠勝と町造り派の立花次郎との対立がドラマの主軸として展開していきます。
笑わせて泣かせる寛美さん
藤山寛美さん(1929・6・15―1990・5・21)は大阪市西区出身。戦後昭和の上方喜劇界を代表する喜劇役者で、1947年、曾我廼家十郎、五郎、渋谷天外、浪花千栄子さんらが松竹新喜劇を旗揚げした折に加わり、その後、松竹新喜劇の中心的存在として活躍しました。
初めての「桂春団治」の舞台で、酒屋の丁稚役で出演したとき、台詞は一言、「お酒を届けにきました」だけだったのを、天外さん相手にアドリブで滔々としゃべり続け、客席をわかせた話は有名です。以来、「アホの寛ちゃん」と親しまれ、新喜劇の看板役者となっていきました。その芸風は笑わせて泣かせる、笑いと人情を併せ持ったもので、ドタバタで笑いをとる吉本が登場したのは10年後のことでした。
一方で、「遊ばん芸人は花が無うなる」と言い、夜の街を金に糸目つけず豪遊したことで知られています。「北の雄二(南都雄二)、ミナミのまこと(藤田まこと)、東西南北藤山寛美」と言われ、バーのボーイにチップとして車のキーを渡した話など、伝説化して残っています。結局、自己破産。1965年、松竹を解雇され、67年に復帰するまで、東映の任侠映画に出演、鶴田浩二さんらの助演をして凌いでいた時期もあったようです。
ボケた撮影の意図
この作品では藤山寛美さんは服部半蔵に扮し、軽妙な演技を見せています。しかし、舞台と違い映画では寛美さん本来の味が出し切れていないような気がします。舞台では役者が笑いをとって、観客が笑い終わるまでの間をみながら、次の演技に移ることが出来るのに対し、映画は一方的に笑いを押し付ける感じとなり、今回の場合はそれが裏目に出たような気がしないでもありません。
ましてや黒の盗賊の頭領・小太郎と対等に対決する半蔵が簡単に負けてしまうのでは迫力に欠けてしまいます。撮影の意図が小太郎を中心とする活劇なのか、喜劇をメインとしたものなのか、はっきりせず、ボケてしまっているのが残念に思われます。
とはいえ、野性味を帯びた小太郎と従来通りの美男振りをみせる次郎。対照的な橋蔵さんの魅力が満喫でき、ご機嫌な時間を持つことができたのは言うまでもありません。
橋蔵さんと数多く共演された大友柳太朗さんが橋蔵作品で、初めて敵役を演じられるのも話題のひとつでしょう。
(文責・古狸奈 2011・5・9)
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